補助の人
もちろん例外はあるだろうけれど、大抵自転車の乗り方を覚えようって時には、まず初めに補助輪をつけるものじゃないのかな?
ライフサポーターとして働くようになって以来、これが私の決まり文句である。仕事内容を尋ねる親戚や友人にも、契約に迷いを見せる依頼人にも、この言葉は実によく効く。
私が補助を担当している川田君も、そんな決まり文句に背中を押されたうちの一人である。彼の就職と同時に契約を結んでから、来月で二年目を迎える。とはいえ彼と直接顔を合わせたのは契約時だけであり、その日以降は、彼がかける眼鏡に内蔵されたカメラと集音マイク、それから私の指示を伝える超小型イヤホンを通してのみの付き合いとなっている。
補助員である私は自宅に設置したモニターで彼の状況を把握し、取るべき行動や、口にすべき言葉を、マイクに語りかけ伝えてきた。
新入社員の頃には先輩社員が吹かす先輩風の双方が損をしない受け流し方や、上司の薫陶に心地よくさらされて見せる心構えなども指示した。もちろん上司や先輩に可愛がられるだけでなく、飲み会などで同期入社の連中に対しては、川田君のほうが頭一つ抜きんでているという印象も与えた。相手の意見を尊重しつつも、こちらの意見のほうがより会社の利益に繋がり、かつ先見性に富んでいる、と思わせるに充分な数々の言葉によって。
大手通信会社で営業部長を定年まで勤めた経験を生かし、周囲の人々に存在を悟らせないよう影となり、これまで彼を導いてきた。
しかし今日という日は、私が会社で行なってきた経験以上のものが要求されている。
川田君がプロポーズをするのである。
私が補助員として頼られるのは、会社勤めのいろは。もちろん半年ごとの契約更新を続けてもらえれば、出世街道さえ手をたずさえて進む自信はあった。だが彼は仕事の順調さを、よりよき人生の充実へと拡張することまで、会社人間だった私に望んできたのだ。
「ぼく、恋がしたいです」
眼鏡拭きを装いながら私に話しかける彼に、それは専門外だからと他の補助員との契約を勧めようとしたが、あなたにお願いしたいのです、と切実に訴える彼にほだされ、どうにか今日まで補助を続けてきた。
私とて、恋多き男ではなかった。むしろ恋の駆け引きで押しすぎから逃げられたり、引きすぎから素通りされたりなどの苦い過去ばかり。
だからこそ補助を担当している人数をしぼり、恋愛下手なりにない知恵もしぼり、昼休みの公園でさり気ない出会いを心がけて声をかけさせ、さらに時間をかけて会話を重ねていき、なんとか休日の映画まで漕ぎ着けた。
それから半年も経たないうちの、プロポーズである。彼のはやる想いを補助するのも一苦労であった。私自身の結婚経験と離婚経験から、彼には慎重に相手を見極めるよう勧めたが、その一点だけには聴く耳がなかった。
確かにモニターやマイクを通して接してきた私でさえ、とても魅力的な女性であると感じてはいた。私がもう二十歳若ければな、とつい思ってしまうほどに。そんな彼女は川田君の会社近くにある電気メーカーに勤め、彼より三つ年上であり、女性視点による家電製品の開発にたずさわる一員でもあった。
夜景が一望出来るレストランでデザートが運ばれたのを機に、彼が指輪を取りだす。
私は目の前のモニターを凝視しつつ、過度のコーヒーによる胃のむかつきや煙草のいがらっぽさにもめげず、この日のために整えてきた下準備が無駄にならないよう祈った。彼女には遠回しではあるが、結婚への意識が芽生えるよう働きかけてきた。仲睦まじい老夫婦が営む喫茶店にかよったり、道に迷ったふりをして結婚式場の前を通ったりして。
彼にはいたずらに言葉を飾らず、これからの人生を一緒に歩ませて欲しい、とそれだけを真摯に伝えるよう指示してあった。
そしてその通りに、彼は伝えた。
「……はい」
彼女はプロポーズを受けた。
その瞬間これまでの緊張が一気にほぐれ、私は喜びの拳を高々と突きあげた。補助員として、無事やり遂げたのだ。彼は安堵の息を吐き、彼女も嬉しそうに微笑んでいる。
私は心の底から、おめでとうといった。
「ありがとうございます」
「はい」
照れ臭そうに俯いて、二人が同時に呟く。
これはまずい。浮かれるにも程があった。
私はついうっかり、マイクの通話ボタンを二人同時に押していたのだ。だが幸せな二人はお互いの呟きにも、相手の呟きの先に私がいることにも、気づいた様子はなかった。
これからは、より気を引き締めなくてはならない。
なんせ間接的ではあるにせよ、私には私との、甘い新婚生活が待っているのだから。