朝まだき

           朝まだき
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 三月がすぎ去り、新たな月の始まりだというのに、頭と胃がずしりと重くてならない。
 もう若くない、酒を控えよう。早朝の澄んだ空気のなか、今年何度目かの誓いをぼんやり意識しつつ、ポストから新聞を抜きとる。
 妻を起こさぬよう居間に腰をおろし、そっと新聞をひらく。今朝はやけに活字が躍っている。しかし二日酔いだからと長年の習慣を怠るつもりはない。このような非通常の際はなおのこと、習慣という通常のレールに乗ることで、またやってしまったという引け目を押しやり、妻と合わせる顔も整えられるのである。それこそが習慣の利点。しかも、時として新たな発見に巡り合うこともあるのだ。
 その発見は印刷のにおいに挫けそうな胃を鼓舞して新聞をめくるうち、踊り疲れた活字が本来の居場所で休息を始めた頃に訪れた。
 それは新種のウイルスが見つかったという記事だった。なんでもそのウイルスは複数の頭部を持つが故に生命力にあふれ、ひとたび感染すると平常心が失われ、落ち着かず、他人への攻撃性が増し、ことによっては死に至る場合まであるらしい。しかしこのウイルスは風来坊的な性質を持ち合わせ、宿主にながく留まることは少なく、次々と新たな宿主を探し求めて渡り歩く傾向が強いのだとか。
 そのせいか感染ルートは複雑多岐に渡るらしく、記事では、そのややこしい感染ルートを理解しやすいよう物語風に示していた。

「いつまで寝てるの、はやく起きなさい」
 今朝のママはいつもより、ちょっと機嫌が悪かった。布団を剥いだ時たまたま僕の顔を引っかいたのに謝らなかったし。ふう、女って難しいな。ほんと、やっかいだよ。おっ、さやかだ。ふん、おしゃれしちゃってさ。
「へへーんだ、ざまあみろ」
 まったくなによ、あいつは。登校中に髪を引っ張ってどこが楽しいのよ、ガキ。やだなあ、こんな髪型で授業受けるの。あっ、先生がきた。やだっ、なにあれ、先生のくせに。
「先生、鼻毛がこんにちはしてます」
 まったく近頃の低学年は人の過ちを大笑いするのですね。しかも数分の自習を申しつけただけで全員が喜ぶとは世も末。保健室で手頃なハサミを借りなければ。おやなんでしょう、こんな時間からベッドで寝ている生徒が。
「登校前に、体調の考慮ができないのですか」
 ごめんね、お母さん。車で迎えにきてもらって。それにしても嫌味な先生。よけい頭が痛くなるじゃない。もうっ、前のタクシー危ないわね。渋滞だからって急にUターンしないでよ。ほんと最低、余裕のない大人って。
「おげげ、ほんげげ、れろれろれー」
 生意気な小娘め。敵意むき出しの変な表情をすれ違いざまにするとは。こっちは入念な化粧の合間に、遅れたらそちらの会社に苦情をいうと、客にせっつかれてるってのに。
「あれれ。お客さん、いつお乗せしました」
 殴ってやりたい、蹴ってやりたい、むしろ上空から放りだしてやりたい。たまたま寝坊して車内で化粧したからって別人扱いするなんて。いいわ、名前は憶えたもの。あら、なによ。これから運航上の重要な会議だってのに、狭い通路の中央をもたもた歩いて邪魔ね。
「ここって、あなた専用の通路だったかしら」
 最悪だ。どうして俺はこうも、この空港内で一番お高くとまった女と頻繁に顔を合わせてしまうのだ。しかもいつだって、気が抜けない旅客機の整備の直前に。くそっ、あの女の顔がちらついて整備に身がはいらない。
「異常なし。異常なし。異常なし」

 このウイルスは神話にちなみ、ヤマタノオロチと命名されたとか。八つの頭部を有することと、ウイルスが侵入する際、新たな宿主に対し八つの頭部をもちいて同時に攻撃することから、その名がついたようだ。そしてその特殊な攻撃は“八つ当たり”と称されていると記して、記事は締めくくられていた。
 四月一日という新聞の日付で今日がどんな日か思い至ったが、私はウイルスの実在性を疑えなかった。
 昨晩、床についていた早寝遅起きの妻の胸のうえで、ゴキブリがなにくわぬ顔をして触覚を揺らしていたのだ。そっと静かに払おうとした手を、私は慌てて引っこめた。妻はゴキブリの気配に目を覚まさずとも、私の手の気配には目を覚ますかもしれない。胸に触れるか触れないか、まさにその瞬間に。呑み始めた時の不満を押し殺した妻の態度が、私の善意を深酒の戯れと勘違いした後で、どのように変化するかなど考えたくもなかった。
 きっと私は感染していたのだろう。嫌われものの害虫を胸に這わせて眠る妻の姿に、確かに胸のすく思いも味わっていたのだから。
 だがまあ、払ってやるべきであったろう。
 許せ妻よ、虫の居所が悪かったのだ。