新入生

           新入生 
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 バーの名が、類人園(るいじんえん)。そんな店名に惹き寄せられてしまった俺は、細い階段を地下へと降って重い扉を開けると、このバーの雰囲気をうかがってみた。
「時間を持て余しているのなら、そんな所に突っ立っていないで、こちらに座ってもてあそんでみてはいかがですか」
 ほのかな灯りに浮かび上がる九人ほどの客たちが、背を向けたまま唐突に声を揃えてそう言った。一糸乱れぬその声が狭い店内にこだまして、呆気にとられる俺を残響とともに呑み込んでゆく。
「我々は、あなたのような方を快く迎え入れますよ。さあ、お掛け下さい」
 温かみを含みながら、またも見事に揃う声。壁に据え付けられた横並びの席には一つだけ空席があり、まるで誰かに手を取られてでもいるように、俺はふらふらとその空席に身を納めてしまった。
 座り心地のよいスツールに、着席と同時に運ばれてきた俺好みのウィスキーのロック。初めてだというのに、通いなれた店での落ち着きと気安さまで感じさせてくれる。
「なんか、いい店だなあ」
 思わず言葉が口から出てしまい、俺は焦ってしまった。独り言を拾われでもして、会話に発展したらと思うと気が気ではない。いまは居心地のよいこの店の味わいを誰にも邪魔されずに、一人で噛み締めていたかったからだ。
 しかし、そんな危惧はいらないようだった。この店の客たちは、全員が素知らぬ素振りで壁と対面したまま酒を飲んでいて、俺の独り言など気にしていないらしい。それどころか、俺を快く迎えると言ったわりに、誰一人としてこちらを見向きもしない。それぞれに酒を楽しむ客たちは声を揃えて発言する以外、お互い会話を交わす様子もなかった。
「あなたが考え事をしている時の顔は、ひょっとこに似ていますね。まあ、別にかまわないのですがね」
 確かに子供の頃からよく言われるが、わざわざ声を揃える必要がどこにある。しかも、気にしている事をずけずけと……。俺は腹立ち紛れに腰を上げた。文句の一つでも言わなければ気がすまない。けれども……、けれども俺は、いったい誰に文句を言えばよいのだろう。ひょっとこに似ていると言い放った客たちは、相変わらず素知らぬ顔で壁と対面して酒を飲んでいる。……ならば俺も、壁だけに対面して意識だけを客たち全員に向けて言葉を発する事にする。
「かまわないなら、いちいち言うな」
 狭い店内には俺だけの声が響いたが、それでも客たちは視線すら向けてこない。しかし、多少ではあるが反応をしているようだった。頬を撫で始めた客、眼鏡を拭き出す客、煙草に火を点ける客、髪を掻き揚げる客、にやにやと笑い始める客……。これまで耳にしなかった衣擦れの音が、それぞれ一人ひとりの集まりである事をあらためて感じさせる。
「怒りというものは、とても体に毒ですよ。感情に流されるだけでは、何の解決にもなりませんしね。ささ、気晴らしにテレビでも見る事にしましょう」
 その言葉と同時に客たちが壁の一部を動かすのを見て、釈然としないものを抱えたまま、俺も同様に仕切り板を動かした。そこには小さなテレビがはめ込まれていて、映し出されている番組は皆同じであった。
「ははは、こんなもの見ていたいとは思いませんねえ。まったく、何が面白いのか意味が分かりかねますね」
 この店に集う客たちは、いつもこうなのだろう。横一列だけの席に並んで座り、お互い係わり合いを持たず、それでも一糸乱れず同じ言葉を発する。俺はひょっとこに似ていると言われた事も忘れて、またも口を尖らせていた。
「いやはや、一体どうしたいのでしょう。これでは、笑うに笑えないじゃありませんか」
 ……同じだ。客たちがテレビを見ながら発する言葉は、俺も感じたまさにそのものだった。皆が思うから俺も思うのではなく、俺が思うから皆が思うのでもない。まったく同時に、まったく同じように感じているようなのだ。俺は落ち着かないこそばゆさを味わいながら、頬をゆるめて笑っていた。
「我々は、あなたを歓迎しておりますよ。本当に、あなたを迎え入れる事が出来てよかった」
 どこまでも、見事に声を揃え続ける客たち。次に……、次にテレビを見ていて何かを感じた時には、俺も臆する事なく言葉を発してみようと思う。テレビと壁だけに向かい、俺は俺のままで、皆と横一列に並んで繋がりを求めるように……。そうすれば、俺も皆と声を揃える事が出来るに違いない。
 バーの名が、類人園。風変わりな店名だとは思っていたが、今は何となく分かる。同じ類の人々が集う園。どうやら俺も、似たもの同士ってやつらしい。だが、それはそれで悪くなんかない。明日もまた、俺は細い階段を地下へと降って、このバーの重い扉を開けるだろう。何の疑問も抱かずに、そうする事が当たり前のようにして……。