日記

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 ふと目が覚めた。時間は夜中の一時過ぎ。彼女は横ですやすや眠っている。
 起こさないようそっとトイレにたち、台所で水を飲む。
 眠気はしばらく戻ってきそうにない。
 仕方ないので、このところ仕事の忙しさにかまけてつけ忘れていた日記を開いてテレビをつけ、薄明かりを頼りに数日前の日付から読み返してみる。

 八月十三日
 冷蔵庫のなかが広々として寂しげ。それもそのはず、取り置いても結局捨てることになる醤油やソースの小袋では埋まるはずもない。コンビニ弁当や外食をひかえ、冷蔵庫で空気ばかり冷やさず、野菜などを詰め、生肉や鮮魚も詰めて、自炊したほうがいい。体を壊してからでは遅いのだから。それから夕方の薄暗さでも、部屋の汚さが目立っている。洗濯機のうえには買い置きのトイレットペーパーが鎮座し、脱ぎ捨てて積み重ねられた服の間から掃除機のホースがのぞいている。雑誌やチラシの類は床に絨毯の代わりとして敷き詰めるものではない。たとえ地球がひっくり返ろうと、見栄えのする部屋とはいえない。せめて小さなヒマワリでも飾ったら、いいかもしれない。目に鮮やかな黄色が、部屋を和ませてくれるはず。でもその前に肝心なのは、整理整頓。部屋を片づけるべし。

 八月十四日
 夜、彼女が訪ねてくる。散らかりすぎ、だらしがない、などと遠まわしにいわれ、挙句の果てには口喧嘩。勢いにまかせて彼女を追い帰すのは、おおきな間違い。相変わらず、引っ込みがつかなくなると子供のように拗ねて済まそうとしてしまう。オモチャを買ってもらえないからと何日も口を閉ざしていた昔とちっとも変わらず、甘えてばかり。情けない、大人げない、恥ずかしくなってくる。彼女に非はない。まったく誰に似たのだろう。まあ、おおかたは、じいさんの血筋だろうけれど。

 八月十五日
 合鍵を使い、彼女が昼間部屋にきた。部屋を掃除し、汚れ物を洗濯し、カレーまで作っていった。古臭い考えと笑われようとも、本当にいい娘だと思う。彼女は休日だったらしい。ゆっくりしていけばいいのに、顔を合わせるのが気まずいのか夕方前には帰ってしまった。書き置きのメモ用紙に「昨日はごめんね」の一言。くどいようだけど、彼女に非はない。本当に申し訳なく思う。許されるのなら、彼女に面と向かい頭をさげたくなる。ニンジンとジャガイモの切りかたがすこしおおきな気もするけれど、美味しそうなカレー。

 八月十六日
 昨夜は仕事から帰宅するとひと休みする間もなく部屋を出て、彼女のところに外泊。日が暮れ始めたころ彼女が部屋にきて室内に干していた洗濯物をたたみ、喧嘩をしたことも忘れてくれたように鼻歌まじりでカレーを温め直した。そろそろ身を固めることを考えたほうがいい。それも真剣に。彼女は今日、泊まっていくつもりらしい。うまく仲直りができたようで、心底ほっとしている。彼女にありがとうと、伝えてください。来年のいまごろは、ひとり暮らしじゃないといいのだけれど。

 日記を閉じた。
 ばあちゃんだ。
 お盆だというのに実家にも寄らず、俺のところにきて、夏休みの宿題の手伝いでもするように空欄続きの日記まで代わりにつけていった。
 あれから十年も経つのに、いまだ詰まらない心配ばかりかけてる。まあ、いつまでも子供扱いのままではあるけれど……。
 今度の休みには、墓参りにいくとしよう。
 ばあちゃんの好きだった小さなヒマワリを持ち、彼女も連れて。