預かり所
お盆あけ、例の女性がやってきた。
私はこのやっかいな利用者にそなえ、とびきりの笑顔をはりつけ、必要以上に声が高くならないよう咳払いをし、喉の調子を整えた。
「お帰りなさいませ。引換用のチケットをたまわります」
カウンターに投げ出されたチケットを受け取り、他の利用者より入念にチケット番号と保管用ロッカーの扉番号を照らし合わせ、間違いなく持ち主はこの女性であると三度も確認し、私はカウンターにその足をのせた。
「あら、ちょっと、これあたしの足じゃありませんけど。ちゃんと確認したのかしら」
そうら、始まった。
この預かり所は、現世におもむく者が自身の足を預けていく所だ。おおかたの利用者は想いを満たし帰着すると、こちらを煩わせずに足を受け取っていく。だがなかには、現世におもむいても満たされなかった反動からだろうが、預かり所を利用する度に、なにかとごねる人物がいるのである。それも頻繁に。
「確認作業は細心の注意を払って行なっておりますので、こちらのおみ足で間違いはございませんが」
「いやね、なにいってるのかしら。ほらよく見てちょうだい、かかとがカサカサしてるじゃない。あたしのかかとはね、赤ん坊のお尻のように、もっとツルンとしてたわよ」
「……ですが」
「……ですが、なんなの? いいこと、あたしの足はストッキングを履くときに伝線しないよう気をつけなきゃいけない、トゲトゲした足じゃないんですからね」
その後も続けられた軽石を用いたケアの話に頷きつつも、私はこの女性が現世におもむく際の手続き時に両側から記録した足の画像を、カウンター脇のモニターに映し出した。
「こちらをご覧になればお分かりいただけると思いますが、かかとの様子からもこのおみ足は、お客様のもので間違いないと……」
「こんなチラチラした画像でなにが分かるのかしらね。それにほら、この足の裏、あたしの足の裏はもっと血色がよかったわよ」
この世界で血色もくそもないだろうに、といった考えを心の隅に蹴り飛ばし、私の背骨は鉄の棒だと自分にいい聞かせながら、なんとか身を引かず、レモン一個すら隙間に入らないほど眼前に迫った足の裏を凝視した。なるほど、そうくるか。次回はちゃんと足の裏も記録に残しておかなくてはなるまい。
「しかしですね、このおみ足の甲のあたりの筋の感じは、お預けになった際の画像と比べましても同一であると思いますが」
「あら、あらあらあら、失礼ね。あたしの足が筋張っていてカラカラですって?」
「いえ、そのようなことは決して……」
「いいこと、あたしの足は、愛の服従を示す熱い口づけを誘う瑞々しさなのよ。ほら、あなたにできるものなら、この足にしてみせなさいよ。すがるように頬をすりつけ、ひれふす熱い口づけを。ほら、ほら、ほら」
「お客様、それは困ります」
土踏まずが鼻に触れそうになった瞬間、私は女性の腕をつかみ、必死に押し戻した。鉄の棒は折れてしまった。
「ふんっ、いい度胸じゃない。思い出すわねえ、三年前を。その時はヒールを履いていたから抵抗しきれなかったけど、今回はそうはいかないわよ。いい機会ね、ここで晴らさせてもらおうかしら。飼い主に噛みついた犬並みのあの男に、断崖から突き落されお払い箱にされた怨みを、まとめて全部」
もともと穏やかでなかった女性の表情が、みるみる悪化する。これはまずい。こんなことで私がとり憑かれでもしたら、この預かり所でコツコツと積み上げてきた実績が無駄になってしまう。あと一年奉仕すれば現世でのささいな罪が帳消しとなり、この世界で優雅に暮らせるというものを……。
「分かりましたお客様、少々お待ちください」
こうなれば、最後の手段を使うしかない。第三者を巻き込むことになるが、その人物が帰着した折に誠心誠意事情を説明し、頭を下げ謝罪しよう。きっと理解してくれるに違いない。それが難しいようなら、現世優待チケットを一枚進呈させていただこう。
私は保管用ロッカーにいき、思わず見惚れてしまいそうになる美しい足を選び出し、カウンターにうやうやしく置いた。
「そうそう、これよこれ、間違いないわ」
少しやわらいだように見える表情で手を伸ばした女性をさえぎり、私は転がされていた先ほどからの足を、新たな足の横へと並べた。
「よろしいですかお客様、私がお客様のものと思うおみ足と、お客様がご自身のものと思われているおみ足が、ここにございます」
「そうね。はやく返してちょうだい」
「私もそれを強く望んでおります。ですので、最終的な確認を行なわせていただけませんか? お手間は取らせませんので」
「あらそう、別に異存はないわよ」
「ではまず、お客様がご自身のものと思われているおみ足を、こうします」
私は女性の顔をじっくり眺めた。表情は変わらず、口がゆがむこともない。
「それでは次に、私がお客様のものと思うおみ足を、こうします」
効果はてきめんだった。私は指をやわらかく踊らせ、懇切丁寧に確認作業を続けた。
「ちょ、ちょっと、分かったわよ。それがあたしの足ってことに、ふふ、しておきましょう。だから、ほほ、もうやめて。お、お願いだから、ふひょひょひょひょ、や、やめ、は、はひいいいいいい」
これで納得がいったのだろう。女性は自分の足を引き取り、ようやく預かり所を立ち去った。だが立ち去り際、保管方法に問題があって足がにおう気がすると、難癖をつけることは忘れなかった。そして、出るところに出てやろうかしらとも、いい捨てていった。お盆の時だけでなく、年に数回この預かり所を利用するたびに、最後にはこれを聞かされる。
私は白装束のレンタル窓口にいる職員と、大変でしたね、なにいつものことさ、と視線だけで語り合いながら、出した足を保管用ロッカーへ戻しにかかった。
それにしても、美しい足だ。
扉を閉める直前、名残惜しんだ私はもう一度だけと、その美しい足をくすぐった。
やわらかく指を躍らせ、ほんのり優しく。
おそらく現世において今頃は、誰かさんの枕元か、寂れたトンネルか、暗い病院の片隅あたりで、この美しい足の持ち主が、そそと笑い声をもらしているに違いない。