夏休みの宿題

         夏休みの宿題
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 ぼくはちょっとした茂みに隠れて、その虫がくるのを待っていた。
 なんか、すっごい面倒。ばかみたいに暑いし、足はしびれるし、蚊もうるさいし。それに犬だか猫だかのフンの臭いまで、どっかからムンムンしてくる。
 でも、これくらい我慢しないと。
 ケンタは青森のお祖父さんのとこで、虫を捕まえてくる。いいな。
 シローは九州のどこだったかの伯母さんのとこ。うらやましい。
 アキはお父さんの仕事の都合で遠くには行かないけど、お金持ちだから、珍しい虫を売ってる店に行く。ずるい。
 虫の標本で勝負しようぜ。
 ぼくらは自由課題の宿題を競っていた。クラスでじゃなく、ぼくらのなかでの一番を。
 ケンタは運動がうまい。シローは格好いい。アキは勉強が出来る。
 ぼくには……、そう、ぼくには特にない。
 だから、ぼくが一番の標本を作らなきゃいけない。三人のおまけじゃなく四人のうちの一人だってとこを、ちゃんとクラスのみんなにも教えてやらなくちゃ。
 でも、どうしたらいいんだろう?
 セミじゃ当たり前すぎてつまんないし、ダンゴ虫じゃちっぽけだし、ゴキブリは触りたくもない。この街には、ろくな虫がいない。
 ぼくは答えを探しに図書館へ行った。
 一日目は虫の図鑑を調べた。何冊かあった図鑑をパラパラめくった。いろんな虫がいて驚いたけど、見ていて楽しかった。
 二日目は虫の捕まえ方を調べた。カブト虫やクワガタは甘い匂いが好きらしい。狙い時は早朝。でも、早起きは苦手。それにクヌギの木なんて見たことも聞いたこともない。
 三日目は、また図鑑を調べた。作りたい標本をイメージしながら、虫を選んだ。それからその虫たちを詳しく調べて、がっかり。この街の近くにも、標本にしたい虫は一匹も生息してなかった。
 四日目も五日目も六日目も同じことの繰り返し。チャンスさえあれば、ぼくだって……。けれど親戚は近所にかたまってるし、家には旅行の予定なんてものはない。
 七日目は、とりあえず図鑑を開いてぼんやりしてた。頭のなかではケンタとシローが野原でさっそうと虫網を振りまわす英雄になり、アキは差し出された美しい虫に大きくうなずいたり首を振ったりする王様になってた。
 なのにぼくはカビ臭い牢屋のなかで、ひとり鎖に繋がれてる気がしてた。
 ここから出してくれ。
 水を飲ませろ。
 なんやかや、あれやこれ。
 ここで叫んじゃおうかな。
 ぼくは声を殺して笑った。どうせ図書館じゃ、シィーとかってされるだけだろうから。
 天井を見上げても、時間がグルグル飛びまわるだけ。図鑑を眺めても、文字と写真が貴族の舞踏会みたいに踊るばかり。
 なんかもう、いらいらする。帰ろう。
 ぶ厚いだけの役たたずの図鑑を、ぼくはわざとズシンと響かせて閉じた。
 周りの人が迷惑そうに、こっちを見た。
 すると鎖が解かれ、牢屋の壁が音をたてて崩れた。
 そうか……これだっ。
 牢屋に射しこむ光が、ずっと探してた答えを照らした。あきらめて帰ろうとしたのが逆に良かったみたい。これで標本が作れる。
 その夜パパに相談した。一番になりたいからって泣いてお願いしたら、手伝ってくれることになった。やった。ぼくの期待には必ず応えてくれる、とっても優しいパパ。
 そして、その虫がついにやってきた。
 ぼくが調べたとおり、午後四時くらいに現れた。図書館通いも無駄じゃなかった。
 草を押し退けて、ぼくはその虫の行き先を塞ごうと茂みから飛び出した。
 驚いた虫は慌てて避けようとする。
 ぼくは逃がすものかと、虫が避けるほう避けるほうへと動き、両手で通せんぼうした。
 虫は戸惑い、あたふたしてる。
 いいぞ、作戦は順調。
 虫の後ろから、こっそりパパが近づく。
 がに股になって両手を胸にやり、ぼくはドンドコドンドコ叩いた。ゴリラの威嚇作戦だ。
 虫が動きを止め、その場にかたまった。
 いまだっ。
 握った手を開いて合図をおくるとパパが袋をかぶせ、ササッと袋のくちを縛った。
 やった、捕獲作戦は大成功。
 パパは肩で大きく息を吸い、汗をたくさんかいてる。ぼくはそんなパパが誇らしくて、そっと手を握って見上げた。
「これで一番の標本が作れるよ。絶対にうけるだろうな、間違いなくクラスのみんなにもね。ありがとう、パパのおかげだよ」
 ぼくの言葉が嬉しいのか、パパは何もいわず、眼に涙を浮かべてた。
 騒がしい帰りの車のなかで、ぼくはたくさんしゃべった。学校のこととか、友達のこととか、いろいろ思ってることなんかを。普段なら話さないことまで、たくさん。
 でも、パパは黙りこんでる。
「ねえ、聞いてるの?」
「…………」
「パパ、何か考えごと?」
「……うん……ああ、今日のことだけどな、お母さんはどう思うだろう、ってさ」
 耳障りな音を気にせず、ぼくは訊き返す。
「何が?」
「お母さん、泣くだろうな。いっぱい」
 ふうん、そうか。そうなんだ。
「ねえ、パパ」
「……うん?」
「ママってさあ、ひょっとしたら泣き虫なの?」
「……………………」
 パパは、また黙りこんだ。
 ぼくは、何度もうなずいた。トランクから響いてくる、捕まえた本の虫が暴れてたてるドンッドンッて音を無視しながら。
「そうか、ママは泣き虫か……」
 パパはずっと黙ったまま、気分が悪そうに顔を青くしてる。
 ふうん、そうか。そうなんだ。
 この街にも、ぼくのすぐ近くにも、探せばいろんな虫がいる。
 パパは三匹目の、ふさぎの虫。