くさりやすい季節

         くさりやすい季節
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 少年は、牛乳パックを父親の背に向け差し出した。
「ほらほら、お父さん。冷蔵庫にしまい忘れてたから、牛乳から変な臭いがするよ」
「……へえ、ああ、そりゃあ、大変だな、うん。でもあれだ、そういうのはお母さんに言いなさい。お母さんが、なんとかするだろうからな」
 ゴルフクラブ磨きに勤しむ父親は、振り向くことさえしなかった。
「ねえねえ、おかあ――」
「あらあら、夏休みなんだから外で遊んできたらどうなの? あたしだってね、忙しいのよ。洗濯もあるし、掃除もしなけりゃならないし。なにか用があるなら、お父さんに言いなさい。どうせ暇人なんだから」
 重い腰を横たえ、いつ行動にうつるのか定かでない建前上の休憩時間を満喫する母親は、足首にある虫刺されの痕にボリボリ爪をたてていた。
「ちぇっ、つまんないや」
 少年は牛乳パックをテーブルに置こうとして手を滑らせてしまい、わりと大きな音を響かせ倒してしまった。
 慌てふためく少年をよそに、牛乳はテーブルの上をはしり、したたり、床へとひろがる。
 しかし、この家の中には少年のもとへ駆け寄る足音はなかった。ただ、くさった牛乳のしずくが床に弾かれる音だけがあった。
「なんだ、どうだっていいんだ。牛乳がくさっても、床にこぼれちゃっても、別にどうだっていいんだ。なんだ、そうなんだ」
 少年はすこしでも息のしやすい場を求めて、今度はわざとイスを押し倒してから、台所を抜け出し外へと向かった。
 少年を叱る声は、追いかけてこなかった。