台風の夜
がっしゃぁぁぁん。
激しくガラスが割れる音を聞きつけた私は、停電で真っ暗ななか、懐中電灯を片手に慌てて二階へと駆け上がった。
寝室の窓ガラスは無残に破砕され、床に転がる大振りな木の枝が、葉をざわめかせて耳障りな音を立てていた。
戦後最大級の台風だと天気予報では伝えていたが、よくもこんな太くて重たい枝が飛ばされて来たものである。足元に気をつけながら外に放り出そうと試みたのだが、私の力くらいでは動く気配すら感じられなかった。……いったい、どうしたらよいのだろう。窓から吹き込む暴風と雨はますます強くなる一方であり、タンスにしがみついていなければ立ち尽くすこともままならない。
どさっ。
目の前を黒い影が掠めたと思ったら、何かが壁にぶつかったようだ。暴風に負けじと溜め息をはき、枝の次はなんだろうかと懐中電灯を向けてみると、うまい具合にベッドに落下していたそれは、うごめきながら口を開いたのだった。
「……ありえない」
まったく同感である。ベッドの上で平然と身を起こしたそれの言葉に……、いや、少女の言葉に、私は無言でうなずくしかない。
「ここ……どこ……」
この少女は、どうやら高校生くらいの年代らしい。日ごろ接点を持たない私としては、その世代というだけで多少身構えてしまう。苛立ちを発散するように髪は茶色いし、自己を主張するためらしい服装は色の加減が目に痛い。しかし、なんだって我が家へと飛ばされて来たのだろうか。まさか自宅ごととは思えないし、こんな日に外出していたとも考えにくい。とりあえず簡単な状況説明の後、私は思うところを少女に問うてみた。
「おっさんには、関係ないじゃん」
そう来たか……。多感な年頃なのだろうが、こうもきっぱりと拒絶されては哀しいじゃないか。しかも、目の前にいる私をなきものとしてか携帯電話をいじり出す始末。状況が状況であり、こちらも把握しておきたい事柄がある。こんな時、どう話を切り出せばよいのだろう。私はとにかく口を開いてみたが、言葉を探しあぐねて、すぐに閉じてしまうのだった。
「ぎゃんぎゃんぎゃいぃぃぃん」
荒れ狂う暴風の音に可愛げのない犬の鳴き声が混じっていると思った途端、背中に衝撃が走り、私は前のめりに枝の上へと倒れ込んだ。少女の次は犬か……。今日という日は散々すぎる。今後いっさい、私は窓を背にするのをやめよう。
どごっすぅぅぅん。
まただ……。もういいだろうと思いながら懐中電灯を向けてみれば、今度はスーツ姿の中年男性がいた。少女同様、特に怪我はしていないようだが、その顔には戸惑いが浮かんでいる。私の方が、よっぽど浮かべていたいものなのに……。
そんな最中、私をクッションにした犬は、特徴的なほど可愛げのない声で元気に鳴いていた。すると、少女はおずおずと犬の名を呼び、駆け寄って来た犬に顔中を舐められ始めた。この犬は、ずいぶんと少女に懐いているようである。しかし、首輪に繋がれたリードを辿って行くと、中年男性に行き着いてしまう。
「お父さん、何しにきたの」
なるほど、そういう関係か。だが、この重たい雰囲気はなんだろうか。
「出て行ってよ」
犬を抱き締めたまま、少女は私のベッドの上で顔を背けた。よりによって、そんな言葉をはかれてはあらぬ誤解を抱かせてしまうと思い、私は父親にこれまでの経緯を懸命に説明した。そして、壊れた眼鏡を気にしつつ頭を下げていた父親は、雨でよれよれになった名刺を差し出すと、再び私に頭を下げたのだった。
「そういうの、やめてよね」
少女には、こうした律儀さが弱さにでも映るのだろう。なんとなく、父親の家庭での立場が透けて見えるようだ。我が家のなかで部外者にされるという稀有な現状ともなれば、私もついついそんな事を愚考してしまう。
「ほら、帰ろう」
父親は少女を立たせながら、なにやら諭し始めていた。どうやら少女は家出中だったらしく、自宅付近にいた所を近所の人に目撃され、帰宅した父親が犬の散歩を口実に探していたらしい。しかし、少女はベッドの上で土足のまま地団駄を踏み、父親は少女に味方する犬に噛みつかれ、私はそんな様子を懐中電灯で交互に照らし出していた。
「うぎゃぁぁぁ、いやぁぁぁ」
相変わらず荒れ続ける暴風の音に混じり、喉の奥から搾り出すような女性の悲鳴が、またもや我が家へと向かって来る。
「やだ、お母さん?」
「なに、母さんだって?」
再び座り込んでしまった少女の傍らで、父親はあたふたと飛来するはずの母親を受け止める姿勢を模索している。おそらくは、自宅に残された母親が居ても立っても居られずに父親の後を追って来たのであろう。台風で大荒れの日だというのに、まったくもって困った家族である。
私は、とにかく温かいコーヒーでも淹れてこようと思いたち、階下へと足を向けた。この少女には、すこし苦めの方がいいだろうなと考えながら……。