きも試し
出会い系サイトで知り合った女性と初めての顔合わせで居酒屋にやってきた私は、ウキウキと気持ちが弾んで仕方なく、グビグビと生ビールが進んでどうしようもなかった。
「いい飲みっぷりですよねえ」
落ち着いた雰囲気をもつ二十代後半の彼女は、私が大ジョッキの生ビールを飲み干すたび静かに感嘆し、あどけなさを覗かせた笑顔を向けてきた。
「いやあ、ついつい五杯も空けちゃいました。なんか、申し訳ないです。自分だけ飲んだりして」
「いえ、本当に気になさらなくていいですから、どんどん飲んで下さいね」
サイトを通じてのやり取りにて私が他人に迷惑をかけない酒好きであり、それなりに強いと知った彼女の方から居酒屋で会いませんかと誘ってきたのだが、飲める口だったハズの彼女は、なぜか車でやってきていた。
「じゃあ次は、いも焼酎のロックを頼んじゃいますね」
「ふふふ、お強いんですね」
「いやいや、ただの酒好きなだけですよ」
アルコールのおかげで滑らかに会話が運び、焼酎のグラスが四杯目に差しかかった頃、上目遣いの彼女がポツリと呟いた。
「わたし、強い方に昔から縁がなくて……。だから、すごく惹かれるんですよね、強い方って」
傾けたグラスが、スーッと空になる。
「もちろんお酒だけじゃなくて、頼りになる強さも含めてですけれど」
「と、言いますと?」
「例えば、遊園地のお化け屋敷でわたしを置いて逃げ出さないとか、暗がりでもわたしより前を歩いてくれるとか、ふっと思い浮かぶのはそれくらいなんですが……」
私は干したグラスの氷を回しながら、わずかばかり胸を張ると彼女に笑みを向けた。
「自信、あり気ですね」
「まあ、苦手ではない方ですが」
彼女は一瞬視線を逸らすと、再び私を見つめてきた。その瞳には有無を言わせない、どこか挑発でもするような輝きがあった。
「ここから一時間くらいの場所にきも試しのスポットがあるんですが、もう少し飲んだら行ってみません? かなり怖いみたいですけれど、どうですか」
知り合いとはいえ初対面の男ときも試しとは、なんとも面白い女性だ。けれど、ちょっとばかり風変わりな気もする。が、後に引く気はない。暗がりだろうが、きも試しのスポットだろうが、それがどうした。ここは、前進あるのみだ。
「いいですよ、では、あと何杯か飲んだら行くとしましょうか」
それから五杯ほどいも焼酎のロックを飲み、彼女の車に揺られること一時間弱。都心から離れ街灯すらない寂れた道を辿って「私有地につき立ち入り禁止」と書かれた札を無視し、私たちは廃墟と化した建物の入口に立った。
「ここは、病院だったのでしょうか」
「ええ、四十年ほど前に建てられた総合病院です。でも十年前に潰れてからは、そのままになっていて……」
「ずいぶん、詳しいんですね」
「いえ、そういう噂なんですよ。でもその噂によると、取り壊そうにも手がつけられないんですって。なんでも地下にある部屋からすすり泣く声が聞こえるとかで始めようとした工事が中断、そうして解体業者が入れ替わり立ち替わりして行くうちに、工事の受け手がいなくなってしまったとか……」
なるほどね。どこの廃墟にでも当てはまりそうな、よくある話じゃないか。
「で、もともと辺鄙な場所に立っていて土地の利用価値もなさそうだからと、このまま放置されたらしいんです」
私は噂話を聞きながら、彼女の存在に背を押されて病院に足を踏み入れた。肌にまといつく湿気た空気のなかを、静寂を侵すように足音が響いて行く。私の背後には彼女がしがみつき、懐中電灯で前方を照らしていた。
「あれです。あの階段を下りると、問題の部屋に行けるんですって」
「すすり泣きのする、地下への入口ですか」
手には懐中電灯を持ち、地下の部屋への道順も心得ている彼女。どうやら、きも試しで男の強さを試す計画を、準備万端整えていたようだ。私は、彼女のふるいにかけられていたってわけだ。
「足元に気をつけて下さいね」
まあ、これまでのところは、ふるいの網目にうまく引っかかっていそうではあるが。
「それにしても、本当にお酒に強いんですね。あれだけ飲んだのに、すんなりと階段を下りられていましたし」
考えてみると、それだけが唯一の取り柄かも知れない。いくら飲んでも意識はたもてるし、足元がふらつくこともないのだから。
「あれだけ飲んだりすると、二日酔いとかも大変じゃないですか?」
「いいえとんでもない、アルコールの分解作用が他の人より早いのか、二日酔いにはなったことがないんですよ。まあ、単に身体が丈夫なだけかも知れませんけれど」
「体が資本とかって言いますから、丈夫であることが何より大事だと思いますよ」
廃墟となった病院でのきも試しには決してそぐわないだろう内容の会話を交わしているうち、問題の部屋へと到達した。
「すすり泣き、聞こえないですね」
「ええ。でもおかしいわ、噂ではここの扉は開いているはずなのに……」
スチール製の重そうな扉は、確かに閉まっている。私は期待するように促す彼女の視線を感じながら手を伸ばし、ノブをそっとまわしてみた。
「鍵はかかっていませんね」
扉を半分ばかり引いてみる。途端にこの部屋へくるまではしなかった病院特有の消毒薬のにおいが漂い出した。まるでこの部屋だけが、かつての姿を忘れられないでいるようだ。
「もう、やだっ、なんでこんな時に……」
振り向くと、彼女が灯りの弱くなった懐中電灯を振ったり叩いたりしていた。
「電池が切れそうなんです」
「じゃあ、早いとこ部屋の中を見てまわらないと」
「それなら、ちらっと見えたんですが、部屋の中央に手術台がありましたよね。とりあえず、そこまで行ってみましょう」
点いたり消えたりする弱く薄い灯りに足元を照らされ、中央まで進んで行く。床は廃墟とは思えないほどキレイだった。だが、部屋全体がどうなっているかまでは、この弱く薄い灯りでは確認出来なかった。
「なんとか、手術台に辿りつきましたね」
「ええ、すすり泣きは聞けませんでしたけれど、これで、きも試しも終わりですね」
「そうですか。……あの、あなたが求める強さってやつは、感じていただけました?」
「はい。それはもう……」
「そうか、それは良かった」
「ふふふ」
私は、胸のうちから込み上げてくる安堵の息を吐いた。嬉しいことに、彼女の私に対する印象は上々のようだ。
「いやあ、それにしてもこの手術台、なんだか今でも使えそうに見えますね」
「それはそのはずです。今でも、現役なんですもの」
「ははは、現役って……」
彼女の言葉に振り向こうとした瞬間、後頭部に重たい衝撃が走った。私は、殴られたのだろうか? たまらず手術台の上に身を伏し、ぐらぐらと揺れる室内に彼女の姿を探す。
「ふふふ、あなたは本当にお酒の強い方ですね」
忙しなく歩く足音が止んだと思うと、室内が急激に明るくなった。痛いくらいの眩しさに目を細め、それでも彼女を探し、視線をさ迷わせる。この地下の部屋だけは廃墟などではなく、辺りには手術で使う器具や機械類が置かれ、使用するに充分な設備の整った、清潔そうな手術室そのものだった。
「あなたの肝臓は、とても丈夫なのよね?」
彼女はベルトのようなものを繰り、私の両足を固定し始めていた。
「これなら、高く売れそうだわ。ふふふ」
彼女の笑い声を聞きながら、これから手術を受ける患者のように、私の意識は徐々に薄れて行くのだった……。