影踏み

          影踏み
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 秋の夕暮れが迫り、路地を通る人々の影をより長く伸ばしていた。
 その路地を行き交う大人たちの影を踏みながら、たわむれている子供たちがいる。
「ねえねえ、今度は鬼ごっこをしようよ」
 急ぎ足の影にほんろうされながらも、リーダー格の子供が言った。
「ルールは簡単な。影から絶対に出ちゃだめ。あとは普通の鬼ごっこと一緒ね。よしっ、じゃあ僕が鬼からでスタートだ」
 大人たちの大きな影のなかで、タッチを狙う鬼の手からなんとか逃れたり、手の届かないところで鬼とすれ違い舌を出してはしゃいだり、交錯した影を渡って相手を追い込み見事鬼が入れ替わったりと、しぜんと遊びの役割を担わされている大人たちの頬を緩ませながら、子供たちは無邪気に楽しんでいた。
 が、どこにでも噛み合わない歯車のひとつくらいは存在していたりする。
「ねえねえ、まだ一回も鬼になってないじゃん。なんでなんで? ずるいよっ、そんなの」
 リーダー格の子供は、うまくタッチから逃れていた、というよりも遊びの中心から逸れてばかり行く影を踏み続け、自由に影を踏み変えられることにしておいた境界線の辺りを行ったり来たりしている子供に言った。
「えっ、ぼく……」
「ず~る~いっ、ず~る~いっ」
 リーダー格の子供の鼻息にのって、無邪気な子供たちが唱和する。
「……だって」
 夕焼けに照らされた路地に子供たちの声がこだまし、ずるいとされてしまった子供はうつむいて眼に涙をためていた。
「もういいじゃん。やめなよ。みんなでそんなこと言ったら、かわいそうだよ」
 リーダー格の子供の突然の言葉に、ずるいとされた子供はおろか、無邪気に唱和していた子供たちまでもがうつむいてしまった。気まずい空気が流れ、なかには必死に嗚咽をかみころしている子供までいる。
 路地には家路を急ぐ大人たちの足音だけが聞こえ、黙々と柿の実を啄ばんでいたカラスがあきれた様な一鳴きと共に、大仰に翼をはためかせて飛び去って行った。
「あっ、いいこと考えた。鬼ごっこはもう止めて、今度はあの柿を取ろうよ」
 子供たちはリーダー格の子供が指差すところへ眼を向けると、新たな遊びの提案にはやくも瞳を輝かせ始めた。
「ルールは簡単な。踏んでる影から出ないこと。それで影について行きながら、うまく柿を取る。ただ、それだけだ。よしっ、それじゃあスタートだ」
 暮れ行く日のなかで薄れ出した影を踏みながら、子供たちはなんとか柿の木へ辿り着こうと試みる。そこまで行けば、手の届く高さにまで枝が垂れ下がっているのだ。
 路地には、ふたたび子供たちのはしゃぐ声が上がった。しかし、影にしたがって柿の木へと辿り着くのは難しかった。もう少しの距離まで来て遠ざかったり、近づく気配すら感じさせずに素通りしたり、用事を思い出したらしく慌てて引き返す影を踏んでしまっていたりと、子供たちにとって柿の実の存在はあまりにも近く、そして遠いものになっていた。
「ねえねえ、もうご飯の時間になるだろうから帰らない?」
 リーダー格の子供がそう言い出すのを心待ちにしていた子供たちは、大人たちの影のなかで笑い合い、大きくうなずいていた。
 すると、柿の木まであと三歩のところまで迫ったずるいと決め付けられていた子供が影から進み出ると、柿の実をもぎ取り、みんなに向けて笑顔を見せた。
「わあ、すごいなあ。ねえ、ちょうだい、ちょうだい」
 柿の実をもぎ取った子供のもとへ、羨ましそうな声を上げながら子供たちが駆け寄った。
「そんなの、ずるいやっ。影から絶対に出ちゃだめだって言ったのに」
 かたくなに影から出ないよう意識しながら、リーダー格の子供が叫んだ。
「……だって、みんな柿が欲しかったんでしょう?」
 みずから手に入れた柿の実を両手に包み込み、またもずるいとされてしまった子供が言った。
「でも……、でもさっ、なんで僕の言うことが聞けないの」
「……柿が取れそうになかったから、……だから影から出たほうがいいと思ったんだよ」
 二人のやりとりに黙り込んだ子供たちを尻目に、リーダー格の子供は影に引きずられるようにして遠ざかって行く。
「ねえみんな、そんなやつは放っておいて早く帰ろうよ。そうだっ、このまま影を踏んで家まで帰れるか試してみよう。ねっ、いいでしょ? ほら、早く行こうよ」
 子供たちはお互いの顔を見合わせていたが、なかなかその場を動こうとしなかった。もしかしたら、一口くらい柿の実をかじってみたかったのかもしれない。
「早く来いったら。来ないともう、絶交だからな」
 リーダー格の子供の勢いにおされ、子供たちは手近な影を探して一斉に駆け出して行った。それでも、柿の実を持つ子供のほうを、ちらりちらりと見てはいたが……。
 みんなが遠ざかって行くのを見ながら柿の実の重さを感じていた子供は、そっと一口かじってみた。皮は少しばかり硬いものの、その甘みは、口のなかいっぱいに広がった。
「みんなも食べればよかったのになあ……」
 日の暮れた路地に人影はなくなり、柿の実の甘さを味わっていた子供は、みずからの影をしたがえて家路を急ぐことにした。