秋の日記

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〈十月××日〉
 今日は休日だった。でも、予定はなんにもなかった。
 だから考えてみた。
 この時季の醍醐味ってなんだろうかと。
 芸術、食欲、読書、スポーツ。
 秋、といって思いつくのは、この辺りだった。ものすごく無難な線。しかし、だからこそのベストともいえる。
 さらに考えてみた。
 この中からどれを選べば、最良の秋を味わえるのかと……。
 だがしかし、俺はあえて選ぶことを止めた。どれかひとつに絞り込もうなんて考え方自体が、男としての器の小ささを感じさせたし、なにか負けた気にすらさせられるからだ。
 こうして、楽勝だと思っていた、たった一日で秋のすべてを味わいつくそうとした休日が動き出した。の、だけれど……。

 芸術の秋。
 映画を観ることにして、初回の上映開始時間三十分前に映画館に着く。色々な映画が公開されていたが、上映開始時間に差異はなかった。事前情報をまったく知らず、どの映画を観るかしばしの熟考。決めかねているうちにチケット売り場の女性と視線があったので、直接聞いてみることにした。このなかで一番面白くてチケット代金に見合う作品はどれですか、と……。
 それなのに、なんだかなあ。その女性は難しくもない質問の意図を汲み取れなかったらしい。あたふたと困った表情をしたかと思えば、変なことを聞いてくるヤツだ、とでも言っているような嫌な眼つきをしていたし……。
 結局、不得要領な説明が続くうちに気がそがれたので、映画を観るのは止めにしてしまった。
 まったく、どの映画が一番面白いのかをはっきりと断言してくれれば、それで済んだものを……。それとも、ただ単に面白い映画がなかっただけなのだろうか……。
 映画を観ながら芸術気分を味わうことは残念ながら叶わなかったが、映画そのものをあまり好きではない俺からすれば、チケット代金を無駄にせずに済んだことが唯一の救いだったのかもしれない……。

 食欲の秋。
 予定を繰り上げ、近場のデパ地下に向かう。そこでは様々な食が集い、欲を満たすに余りあるはず。そんなフロアーで見つけてしまった、長蛇の行列……。その先には一体どんなうまいものが待っているのかと期待が膨らみ、勇んで最後尾に並ぶ。数分後には後方にも人が増え、さらに行列が延びていた。数歩進んでは止まり、また進んでは止まる。そうして行くうちにフロアーの奥まった階段をのぼり始め、地下一階から地上一階へと出てしまい、行列は女性化粧品売り場で解消されたのだった。
 特売品の口紅では、空腹は満たされまい。
「お客様、どのようなものをお探しですか」
 淡々と仕事をこなしている店員にそんなことを聞かれても答えようがないうえに、場違いな空気までがどんどん濃度を増して行った。
 行列に並んでしまった段階で誰かが間違いを指摘してくれてさえいれば、赤っ恥をかかずに済んだものを……。
 おかげで、なにかうまいものを探そうなんて気分はどこか遠くへ飛んで行ってしまい、適当な言葉を弄しながら女性化粧品売り場を出ると、そのままの勢いを保ちながら、どうにも居たたまれなくなってしまったデパートさえも後にした……。

 読書の秋。
 うろうろと街なかを巡るうち、小ぢんまりとした書店と出会う。入口付近の雑誌を立ち読みした後、いざ入店。ベストセラーの小説はどれかと探してみるものの特設コーナーを設ける配慮がされておらず、どの本が売れているのかまったく見当がつかなかった。
 ハードカバーを諦めて文庫本の棚を眺めてみても、店舗のわりに冊数が多くて手すら伸びない。せめて有名人が推奨する帯でも掛けていないかと平積みにされた文庫本に眼を向けてみれば、逆にそんな帯ばかりが多すぎた。
 まったく、どれもこれも薦めやがって……。それもこれも全部買える訳ないじゃないか。
 思わず溜め息をもらした拍子に、急激な便意をもよおす。印刷された紙のにおいを長く嗅ぎすぎてしまったせいだ。うかつだった。自分の体質のことを、窮地に立たされてから思い出すなんて……。
 切羽詰った状況において、誰がのんびりと本を選んでいられるだろうか……。

 スポーツの秋。
 デパートには戻る気がせず、本当に必要な時に限ってコンビニは見当たらないなかで、歩幅を狭め、腹筋に負荷を掛けないように腹を引っ込めて、さらに慌てずに急ぎ足となり、公衆トイレのある公園を探し求めてさまよう。
 額には脂汗が浮かび、呼吸は荒く苦しかった。はやく解放されたい。……この人通りの多い路上で諦めてしまおうか。何度もそう思った。でもその度に、もう少しだけ頑張ろう、俺が俺を信じられなくてどうするんだ、と涙さえ浮かべながら自分自身に言い聞かせた。
 この時ほど、精神力を試されたことはなかった。本当に厳しい戦いだった。
 これはもう、スポーツと言っても良いのではないだろうか。ゴールが見えた瞬間の安堵。そこから気を引き締め直してのラストスパート。そして、運動の後の達成感と心地よい疲労感。
 まあ、体を動かすことでひと汗かいたのは、紛れもない事実ではあるのだが……。

 芸術、食欲、読書、スポーツ。それぞれの秋を堪能しようとした休日。
 正直、もう秋なんてどうでもいいやとさえ思う。俺って本当にツイていないやつなんだと、つくづく意識させられてしまったから。
 それに、芸術も、食欲も、読書も、スポーツも、秋じゃなければ味わえないって訳でもないんだし……。
 いずれにしても、なんでこう物事ってやつは嫌になるくらいうまく運ばないんだろう。まあ、仕方ないのかな。世の中なんて、所詮そんなものなんだろうから……。
 さあ、明日は仕事だ。今日はもう寝ることにしよう。おやすみ、俺。せめて夢くらいは良いものを。