片づける
涼気が漂いはじめたアパートの狭苦しい部屋の片すみでは、夏の間はなっていた存在感を失い申し訳なさそうに肩をすぼめた扇風機が、あらがうこともせずに埃を積もらせていた。
いいかげん、片づけないとな。
でも、まあ、今日のところはいいか。
いやいやいや、俺、いやいやいや。
「ふんんっ、しょうがない」と伸びをしながらこぼれ落ちた独り言のなかに、溜め息と若干の奮起をまぜ合わせ、まずは湿らせた雑巾を片手に前部ガードをはずした。数ヶ月の間に付着した埃は、密集し絡みついていてなかなかに手強い。
つづいて羽根と後部ガードをはずし、こちらもきれいに汚れを拭き取った。
ふう。たったこれだけの工程を経ただけで、バシャバシャと雑巾をすすがなきゃならない。しかも、排水口に流れてゆく水には透明度のかけらさえないときた。
そうだ、決めたぞ。来年からは、扇風機使用の合間あいまに掃除をすることにしよう。
決意表明よろしく、雑巾をかたくしぼる。
……うん? ああ、そうか。思い出したぞ。そういえば、去年も同様にかたく心に誓っていたんだっけ。くそっ、まぬけな俺め。おかけで、おろしたてのシャツに汚れた水が撥ねまくったじゃないか。
まあ、いい。掃除に関するこの問題は来年にまわそう。どうせいま考えてみたところで、時間が進むわけでもないのだから。
スパンと小気味よく雑巾をひろげ、頭部モーターカバーを拭き、支柱からベース部を通り最後にコードの埃をシュルシュルと拭った。
拭き掃除は、これでよしと。
あとは扇風機をさらにバラし、しかるべき場所へと片づけるだけだ。
工具ボックスから使い慣れたドライバーを取り出し、頭部モーターカバーをカパッとはずす。これを立てれば、我が部屋にゴミ箱が一つ増える。可燃ゴミと不燃ゴミを最初から別々に投入しておけば、夏の間に面倒くさかったゴミの分別が楽になるってわけだ。
お次はモーター部と支柱を切り離し、さらに支柱をベース部から抜き取った。ただの棒状になった支柱は部屋の角、窓の枠と収納スペースが埋まっている押入れの桟へと渡せば、これからの季節に重宝するコート掛けに早変わり。
ベース部は底蓋を開けてコードを抜き取り、蓋をきちんと戻してから玄関脇に据えた。友人が遊びにくると蹴つまずいた拍子に舌打ちをあびせるが、これはこれで立派な傘立てなのだ。たとえ、傘が一本しか立てられなくとも、だ。
それにしても、扇風機ってやつは本当に便利な代物だ。夏は涼を提供してくれるし、他の季節にもちゃんとした使い道があるのだから。
こうして流し台の下にしまっている前後部のガードにしても、ゆでたまごを作ったりジャガイモをゆでたりした時にはザルの代わりになるし、モーターは先端部分を活用してツボ押しマッサージの道具となり、コードはコードで運動不足解消に役立つ縄跳びの縄になるのだから。
まさに、扇風機さまさまだ。
さてと、今度は羽根の番だ。羽根は天井から吊るされた照明器具にうまく取りつけ、シーリングファンとする。といっても機能はしないから雰囲気を楽しむだけなのだが、指先ではじいてやれば羽根がクルクルと回り、四畳半の我が部屋が嘘のように、年代もののハリウッド映画に出てくるような探偵オフィスの趣になる。よし、いつもながら上出来だ。思わずウィスキーを傾けながら、物思いにふけりたくなってしまうほどだ。
っと、いけないいけない。楽しみは後回しにして、いよいよ最後の仕上げに入ろう。
最後は、なくしてしまうと探し出すのが非常に厄介なネジだ。だから毎年、それ相応の場所に片づけている。その相応の場所とは、天井だ。こういった時にこそ本領を発揮する辞書やらなにやらを積み重ね、扇風機のネジのために所定の位置に開けてある穴にネジをねじ込む。そして、ネジの頭の部分に蓄光塗料を塗る。これを数箇所繰り返し、涼を生む役目を終えた扇風機の片づけ作業は、今年も無事に終了となった。
はあ、疲れた。
毎年同じことを繰り返しているが、この片づけ作業は意外と労力がかかってしょうがない。しかし疲れてはいるが、ことのついでに暖房器具も用意してしまおうか。……いやいや、今日のところはもうやめておこう。外は暗くなってきたし腹も減った。これから風呂場やトイレで暖房器具の部品を掻き集めるのも、かなり億劫でもあることだし。
よしと、それじゃあ夕飯を食いに行くとするか。
パパッと着替え、財布と鍵を持ち部屋の明かりを消すと、じっくりと天井を見上げてネジの仕上がり具合を確かめる。
やはり、いいもんだ。
みすぼらしかった四畳半が淡い光輝で満たされ、疲労感さえ心地よく和らいでゆく。
なんとも、美しい。
それもこれも我が部屋の夜空に昇った、夢幻に華やぐおうし座やオリオン座のおかげってやつだな、うん。