くじ運

           くじ運
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「……お帰り」
 冷え切った部屋の灯りを点けると、見知らぬ男がいた。その男は平凡な顔立ちで、みすぼらしい上着を身につけ、薄汚れた軍手をし、私に向かって猟銃を構えていた。
 私は驚きはしたが、動揺まではしなかった。むしろ腹がたって仕方ない。この男は狙う相手を間違えているようだ。
「見ても分かるとおり、私の所には金めの物など何もありゃしない。それに隠すような現金があるくらいなら、とっくに使っている」
 年の瀬にありがちな切羽詰った挙句の物盗りだと私は思った。そうしたい気持なら、私にだって分かる。苦しいのはお互い様だ。同情からではなく、むしろ一歩先に踏み出してしまった自分自身を見ているような気分になり、私は通報などしないから早く引き取ってくれと、その男に伝えた。
「違う、金目当てならこんな所に来やしない。俺はただ、あんたの運を試したいだけだ」
 男が視線を動かした先には、場違いな物が置かれていた。商店街などの福引きで使用するガラガラと音を立てて玉を吐き出す福引抽選機とかいうあれだ。
「……何かの、冗談か」
「いいや、違う。俺とあんたのどちらが運に恵まれているのか、俺はそれが知りたい。だから、これで試してもらう」
 男は猟銃を構え直すと、私の顔に狙いを定めた。
「金色の玉が出たら、俺はあんたを撃ち殺す。赤色の玉なら、あんたに危害は加えない」
「何のつもりなんだ、いったい」
「はやくしろっ」
 男の呼吸が荒くなり、額には筋まで立ち始めた。ここは、とりあえず形だけでも従った方が良さそうだ。それに自慢じゃないが、私は産まれてこのかた福引きで白以外の玉を出した事が一度もない。どれほどの玉が入っているか知らないが、時間稼ぎにはなるだろう。
 私は大人しくしゃがみ込むと、福引抽選機の取っ手部分に手をかけた。
「なあ、一つだけ教えてくれないか。どちらが運に恵まれているのかなど、なぜ知りたがる」
「あんたの事は、色々調べさせてもらったよ。会社から捨てられた事も、元妻との経緯も、今の苦しい生活振りまでな」
 拭い去れない情景が眼の前に浮かび、激しく心が乱される。
「そんな事、関係ないじゃないか」
「そうでもないさ。似ているんだよ何から何まで、あんたと俺は」
「だったら、なぜ……」
「こんな事をするのか、だろ? 同じような境遇なら分かり合える、か? 違うな」
 男はゆっくりとしゃがんで私と同じ高さの目線になると、再び話し出した。
「俺はな、生きたいんだ。そのためには、俺よりもっと駄目なやつで、もっと不幸な人がいてくれなきゃ困るんだよ」
「その人より自分の方がまだましだと、そう思いたいのか」
「ご明察。正直ほっとしているよ、分かってもらえたようでね」
 たしかに自分の方がましだと思える人を見かける度、救われたような気持ちになった事くらいはある。しかしそれは、単なる誤魔化しにすぎなかった。私にしたって、何も救われちゃいない。
「私は下の下で充分だよ。あなたの生きる励みにしてくれて構わない。だから、わざわざ殺す必要はないと思うんだが……」
「留めおくのさ。俺より駄目なままで、永遠に俺の中にね。だから、必要はある。さあ、はやいとこ引いてくれ」
 やはりここは、出来るだけ白い玉を出して時間を稼ぎ、その間に対策を考えねばなるまい。私は改めて取っ手に手をかけた。だが妙だ。緊張して少し取っ手を動かしてしまったが、こんなにも軽い手応えだったろうか。私は思わず怪訝な顔をした。
「重くない事に気づいたみたいだな。あんたも白い玉しか出した事がないんだろうと思ってな、金色と赤色の玉の二個しか入れてないんだよ。白い玉ばかり見続けるのも、嫌なものだからな」
「そりゃどうも……」
 ずいぶんと用意周到な男だ。猟銃の銃身と肩に当てる部分を持ち運びのためか切り落としているし、わざわざ福引抽選機まで私の部屋へと持ち込んでいる。しかもこちらのくじ運まで考慮に入れるとは……。
 こうなれば引くしかない。男は思い詰めた眼差しで私を見ている。逃げる隙も、抵抗する隙もなさそうだ。だが、吐き出された玉の色を判別する瞬間、かならず視線は動くはずだ。その一瞬の隙をうまく突けば、猟銃を払いのけるくらいは出来るだろう。その後は、そうなった時に考えればいい。
「……では」
 私は福引抽選機をゆっくりと回した。
 カラ……。
 乾いた音が狭い部屋に響く。
 カラ……。
 男は息をのむと、私から視線を外し、受け皿を凝視した。
 コトン……。
 受け皿に吐き出された玉の色を見た瞬間、私は眼を見開き、驚きのあまり頭の中が真っ白になってしまった。
 玉の色が、赤だったのだ。
 男は呆然としている。私だってそうだ。お互いに、予期せぬ結果になったのだから。
「……私に危害は加えない。赤い玉の場合は、たしかそうだったな」
「……ああ」
 男は私に向けていた猟銃を力なく動かし始めた。どうやら、危害を加えないと言うのは本当だったらしい。だが、男の様子が変だった。
「よせっ、そんな事をして何になる。意味がないだろ、意味が」
 男は銃口を自らに向けると、眼を閉じて顎の下に据えた。
「ああ、意味なんてないんだよ。……生きているね」
 そして、男は引き金を引いた。