お化か屋敷

           お化か屋敷
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 仄暗い通路を曲がると、白装束の女性が背を向けて髪を振り乱し、むせび泣いていた。
 小学四年の息子の先にたって壁に身をよせ、私はそろりそろりと女性の横を通り抜ける。
「なんだ、そうだったのか、はははは」
 白装束の女性は食べかけのカレーうどんを前に、胸元にはねた汁を激しく擦っていた。
 あとに続く息子は横目でちらりと見て、
「あーあ、ちゅるるっとすすらないから」
 とポケットに手をいれたまま、いった。
 とある遊園地の片隅にある、お化け屋敷ならぬ、お化か屋敷。入場券を販売する従業員のにこやかでくどくどしい説明によると、このお化か屋敷は冬季のみ運営され、入場料は大人も子供も百円。だが出口で退場料の七百円を支払わねばならず、入口から退場しようとすると千円の罰金がかかり、従業員から指もさされる。しかし退場時には屋敷内での様子をとらえた記念写真がもらえるのだとか。
 評判はよく、それなら息子も楽しめるだろうと、私は三時間かけ車を走らせてきた。ちなみに想像力豊かな妻は、お化け屋敷風の外観に腰が引けたらしく、車に酔ったと唐突に主張し、いまは外の空気を満喫している。
 屋敷内も通常のお化け屋敷の雰囲気なのだが、お化か屋敷と銘を打つだけあり、あごのはずれたお化け提灯やら、暖炉でくつろぐ火の玉やら、通路を右往左往して首をからませ途方に暮れるろくろっ首などがいた。
 そんな失態に笑い声をあげる私の横で、
「いるんだね、お化けにも方向音痴って」
 と、息子が冷静な評価をくだした。
 私は息子の将来をすこし心配している。息子は、子供らしい楽しさではち切れそうな笑顔を見せたことがない。家に友達を呼んで遊ぶこともせず、本を読んだり、オモチャのブロックで動物などをつくったり、一人でなにかをしては、ぼんやり時間をすごしている。
 本物の矢の印に従って進むにつれ、日本風だった屋敷内の装いが西洋風に変化した。
「ああ、この世は欺瞞に満ち溢れている」
 青白く憂いに満ちた顔をした吸血鬼の伯爵が、鏡に我が身をうつし長嘆息していた。
「だろうね。まず、鏡にうつってる時点で」
 息子の言葉に振り向いた伯爵がにやりと犬歯をむきだし、無言のまま息子と頷き合う。
「それでは必要事項を記入してください」
 若い科学者の博士に生みだされた人造人間であるつぎはぎだらけの怪物が、結婚相談所の入会手続きを真剣におこなっていた。
「そっか、まだ探してたんだ、お嫁さん」
 怪物は、ふんと鼻を鳴らし記入に没入。
「お客様、困ります。買い取って頂きますよ」
 家電品の陳列棚に並んだ加湿器を、黄ばんだ包帯をぐるぐると巻いたミイラが、これでもかと片端から力まかせに叩き壊していた。
「死活問題なんだね、きっと」
 包帯の巻きすぎか、ミイラに声は届かない。
 これまで休みのたびに子供が喜びそうな場所へ息子と妻を連れてきたが、息子ははしゃがず、笑わず、楽しんではくれない。むしろ私のほうが、いつだって楽しんでしまう。
 息子は「俺様は野生の魂を人間に売り渡しはしない」と可愛いい子犬のカレンダーに吠える狼男を見ても頷くだけだったし、徘徊するゾンビが手にする地図が逆さであっても笑わなかったし、ミイラを真似て包帯を巻こうと四苦八苦する落武者を見た時などは、むっつり黙りこみ足早に素通りしてしまった。
 おそらく、いや、確実に息子は、このお化か屋敷も楽しんではいないのだろう。
 出口において退場料の支払いを渋る客の横を通りすぎた後など、息子は小声で、
「説明を受けたのに、なんでだろうね」
 と私の袖を引き、不思議そうに首を傾げた。
 この屋敷を楽しめたなら、そういった客は気にもならないはず。おまけに息子は、私の望む笑みではなく、出口でもらった記念写真をしげしげとながめ、苦笑までしている始末。
「ねえ、この写真を見てよ。こうしてお父さんの後ろにくっついて歩いてるだけのぼくってさ、なんだか背後霊みたいだよね」
「あら、そういわれてみれば、それっぽい」
 合流した妻が覗きこみ、ふんふんと頷く。
「そんなわけがないだろう、はははは」
 私には楽しめたこのお化か屋敷も、息子の笑顔を引きだすことは出来なかった。
 と思われた矢先、息子が私の袖を引いた。
「お父さん、お願いなんだけど、今度の休みには美術館に連れてってほしいな。ぼく実際に見てみたいんだよ、抽象画ってものを」
 私は戸惑いながらも、気負った息子の勢いに押され「よし、いこう」と返事をした。
 正直、私には美術館の楽しみなど分からない。しかし息子は期待に胸を膨らませ、顔をほころばせ笑っている。とても子供らしく。
 だがなぜか、寂しい気がしないでもない。