物質転送ポスト
スクリーンのスイッチを入れると、いつもながらの政府広報が自動的に流れだす。
親しみをあふれさせたグラフィックアナウンサーが、どこそこの地に常緑樹を何百本植樹したとか、人口統制の運用が実りをあげているとか、国営企業による輸出品の黒字額が伸びている、などとにこやかに伝えている。
おれは眼を向け、ちゃんと耳を傾けているものの、まったく集中できずにいる。まあ普段から視聴義務のある政府広報にかしこまるわけでもないけれど、今日はその後に映しだされた情報番組にも身が入らない。
冬季の肌荒れ対策や降雪量などを知らせる情報が右から左へと流れていく。
そしてコーヒーメーカーがたてる香り、できあがりを伝えるメロディ、いつもならすぐ手を伸ばすものにまで、よし飲もう、と行動に移る気がなかなか起きないのである。
気もそぞろ。そわそわする。待ち遠しい。
ついに購入した物質転送ポスト。購入申請の書類を何十枚と提出し、忘れられたのかと不安になるほど長く厳しい審査をされ、この人物は人品卑しからぬと改めて保証してもらい、ようやく国から認可がおり、購入が許される。それが十分後に届けられる予定なのだ。
落ち着けず、ソファーの縁を指先で叩くうち、テーブルをばたばたと叩きまくりたい気持ちにかられる。いかんいかん。こんなことで国民に配布されてる衝動抑制錠の世話になるのはごめんだ。物質転送ポストを拝む喜びすら失くしてしまう。はやくこい。とんとんとん。いますぐこい。ととんとんとん。
ソファーの縁をかりかりと爪でかき、時間の運びの遅さにはがりがりで抵抗すべきかと思案し始めたところで、待ちにまった玄関のチャイムが部屋を満たす。
おれは喜び勇んで配送と設置を委託されている業者を招き入れた。
「設置はこちらでよろしいですね」
「使用マニュアルは内蔵されております」
「それでは、ごきげんよう」
業者は浮き足だつおれをよそに、淡々と仕事をこなし帰っていった。
慣れたものだった。設置にも、有頂天の購入者の扱いにも。落ち着いた手元と、冷静沈着な眼差し。その眼はまるで、この購入者が物質転送ポストを悪用しうるかどうかと、最終的に見極めているようでもあった。
たしかに送り主から受け取り手へ物質を瞬時に転送する利点につけ込み、禁制品の密売や、勝手に品物を送って代金を請求する詐欺や、犯した犯罪の証拠品隠蔽に使われた、なんて人々の間でひそやかに囁かれてはいる。
けれど、おれにそんなつもりは更々ない。
おれはただ、注文した商品が届くのを数時間も待たされるのが嫌なだけだ。
操作マニュアルを参照し、連動するスクリーンから、さっそく商品の注文を試みる。
生活必需品を買う? いやいや、やめておこう。記念すべき初注文が洗濯用洗剤では味気ない。本、映画ディスク、服、靴。いやいやいや、ここは普段必要としない商品をあえて無駄を承知で買うことにしよう。
おれは商品を選択し、スクリーン上での手続きを進め、確定ボタンをタッチした。
「お荷物が届きました」
物質転送ポストが音声で知らせる。
「これこれこれ。いや~感動もんだ。業者が注文作業と同時に梱包するから、届くのがはやいのなんの。ほんと、あっという間だね」
独り呟きながら、梱包を解く。箱の中にはサラダ用の木製フォーク。普段キッチンはあまり汚さないし、これからは物質転送ポストで料理も注文できるけど、それらしさを飾る贅沢品としてキッチンの華とするのだ。
次はなにを注文しよう。迷いつつ物質転送ポストを眺める。まず正面。そうだ両親に購入を伝えておこう。続いて側面。あと友人にも知らせないと。コーヒーを手に背面も眺める。それと同僚にも自慢してやらなくちゃ。
明日はきっとこうなる。
「よお、昨日の休みはどうだったんだ?」
探るような問い。
「どこにもいかず、のんびり家にいたよ」
「ふうん。休日こそ社会に奉仕すべし、って政府の標語、忘れちまったのか?」
さげすみを微かにふくむ口調。
「なんせ物質転送ポストが届けられる日だったんでね、一日空けておいたのさ」
「へ、へえ……そうか……」
信のおける国民として一歩抜きんでたおれに対し、同僚は羨ましそうに言葉を失う。
ふふん、ふふふん。込みあげる笑いに気を良くし、おれはコーヒーを一息にあおった。
熱かった。ものすごく、熱かった。
そして、飲みくだせなかった。
「げばっ、げほ、ううっ、げほ、げへっ」
背面にしたたるコーヒーを慌てて拭く。
部屋を静寂が包む。幸いにもショートする音や、煙があがる気配はない。大丈夫か。初日から壊したんじゃ、泣くになけない。自然乾燥を見守り、徐々に冷や汗がひいていく。
「大丈夫。おれの物質転送ポストは、それほどやわじゃないに決まってる」
おれは不安と惨めな気分を払拭し、どうせなら腹まで満たしてしまおうと、恐るおそる売れ筋の商品を注文した。
長すぎる一瞬の間。
「お荷物が届きました」
物質転送ポストが元気な声を響かせる。
おれは安堵の息を吐き、ほかほかの肉まん三個を取りだそうとし、安堵の息を吸い戻す。
「……なんだ、これは」
物質転送ポストの中には、木片と、野菜のかけらと、白い粉の小さな山があった。
まずい、おかしなことになってる。
注文先である国営企業に即連絡。
「どうなさいました?」
ひび割れた硬い笑顔を張りつかせ、オペレーターがスクリーン越しにかしこまる。
「注文した商品のかわりに、物質転送ポストに変なものが入っているんです。これって、どういうことなんでしょう」
「変なものとは?」
「木片に、野菜のかけらと、白い粉の山」
「それらを注文なされたのでは?」
「まさか、違いますよ」
「お客様、物質転送ポストに強い衝撃などお与えになっていませんでしょうか?」
「ああはい、強い衝撃は、ええ」
「非常に稀ではございますが、強い衝撃などの原因により、商品が転送された際に不具合が生じ、原材料という不完全な形で復元されるという支障が報告されております」
「じゃあこれ、原材料なんですね、肉まんの」
オペレーターから笑顔が消える。
「お客様、この度は誠に申し訳ありませんでした。このことは、すでにどなたかに?」
「は? いいえ、しゃべってませんが」
「ではこちらで物質転送ポストの販売業者に連絡し、無償修理の手配をさせていただきます。むろん商品もお届けにあがります。それからお客様、こちらとしましても非常にデリケートな問題をふくんでおりますゆえ、このことは誰にもしゃべらず、くれぐれも物質転送ポストには触れず、修理係りの者が到着するまで外出を控え、そのまま自宅で待機していてください」
「そうですか、いろいろ助かります」
「とんでもございません、迅速に問題を処理させていただくためですから。そうだ、修理係りの者が到着するまでのひと時、わたくしと世間話でもいかがでしょう?」
オペレーターが強引に笑顔を作り直す。
「あ、いえ、そこまでは結構です。では」
「そんな、お客さ――」
おれはスクリーンのスイッチを切り、すぐ修理にきてくれるからと、物質転送ポストを掃除しておくことにした。
商品梱包用の箱の原材料らしき木片を取りだし、肉まんの原材料である野菜のかけらと白い粉の山を取り除け、そして……。
「くれぐれも物質転送ポストには触れないようにと警告したはずですが、お客様」
青ざめて振り返ると、スクリーンにはオペレーターが映っていた。あちら側からの強制接続。欺瞞の笑顔はとっくに捨てている。
「いいですか、その場から動かないように」
はい分かりました、なんて素直に従えるわけもなく、おれは家を飛びだす。けれど政府の眼が血脈のように張り巡らされたこの国で、いったいどこに身を隠せばいいのだろう。
「お客様、逃亡は国家反逆罪となりますよ」
国営企業のオペレーターが叫んでいる。
駆けつけた問題を迅速に処理するための修理係りとされる者は、物質転送ポストの脇に転がる誰かの指しか発見できず、どこまででもおれを追いかけてくるに違いない。
まったく、とんだ休日になってしまった。