夢を写し出すカメラ
「……で、いくらしたの、そのカメラ」
「フィルム込みで、二十万ちょっとだね」
「物好きだよなあ、相変わらず……」
呆れている友人の視線を意識しつつも、俺は購入したばかりのカメラを入れていたカバンを、そっと引き寄せた……。
夢を写し出すカメラ。薄暗く雑多なアンティーク店の片隅に、陳腐な宣伝文句が書かれた値札を下げられ、それは売られていた。シャッターを押すと写真が下部から出てくるインスタントカメラで、アンティークといった雰囲気よりオモチャのような印象が強かった。
だが、その子供だましの宣伝文句に惹かれ……、いや、正直なところ、馬鹿げているとは思いながらも、擦り切れそうな現実にわずかばかりの潤滑油が欲しくて、俺はその場に佇んでじっと見つめていた。
「……興味を、お持ちのようですな」
店内でサングラスをかけたままの店主がいつの間にか隣に立ち、そう声をかけてきた。
「このカメラは面白い一品でしてね、持つ者の夢を写し出してくれるのです。……まあ、カメラとしては、相当なひねくれものですが」
「本当に写し出されるんですか、夢が……」
「どれ、ひとつ試してみましょうか。百聞は一見にしかず、ですからな」
店主はおもむろにシャッターを押すと、数秒後に吐き出された写真を得意げに見せた。
「どうです、素晴らしいでしょう」
俺は吸い込まれるようにして、その写真を凝視した。そこには店に並んだ品々ではなく、大海原を背に広々としたデッキでくつろいでいる店主の姿があった。
「豪華客船で世界一周の旅……、いつかは叶えてみたいものですなあ」
その言葉が終わらぬうちに銀行へ駆け出した俺は、胸を躍らせ息を切らせたまま、このカメラを購入したのだった……。
二杯目のコーヒーを飲み干したところで、友人は再び口を開いた。
「そうだ、なんか撮ってみてよ」
喫茶店内のまばらな客を気にしながらシャッターを押し、俺は温もりの残る写真を渡す。
「へえ、よく出来た仕掛けだなあ。それにしても、望む夢は意外と微笑ましいな」
のぞき込んだ写真のなかの俺は、新築らしい一戸建ての玄関前に停めた外車の横で、誇らしげに赤ん坊を抱き上げていた。
「どうだ、お前も一枚?」
「いや、遠慮しておくよ。じつは顔を出さなきゃならない得意先が、まだ残っててな」
「そうか、じゃあまたの機会にでも」
「ああ、そうさせてもらうよ」
偶然にも再会した仕事中の友人と別れて自宅に戻った俺は、すぐさまカメラを取り出してシャッターを押したのだった。
そして翌日には、吐き出され続けた様々な写真が部屋中に散乱していた。なかでも多くの枚数を占めていたのは、友人が微笑ましい夢だと言った家族での写真だ。どこかの公園では手作りの弁当をひろげ、お祭りの人混みでは肩車をし、観覧車のなかでは怯えてしがみつかれ、海水浴場においては砂の城を築き上げていたりしている。
写し出された夢のなかでの俺は、誇らしくも照れ臭そうであり、幸せそのものだった。
俺は写真のなかで、本当の人生を歩んでいるんじゃないだろうか。いまの俺が偽りで、本物の俺は写真のなかの姿ではないのか……。思わずそんな錯覚じみた考えが、ふと頭のなかをよぎる時があった。そう思いたくなってしまうほど写真のなかの俺の眼は、哀しくなるくらい生きいきとしていた。
それから数日してフィルムを買い足しにアンティーク店に向かう途中、喫茶店から出てくる友人を見つけた。またも外回りの時間調整をしていたらしい。
こちらへと歩いてくる友人に向かい、俺は軽く手を上げた。カバンのなかには、数枚の写真が入っている。成長いちじるしい我が子を見て、友人は何と言うだろうか。楽しみだ。
だが、友人は視界に入っているはずの俺に視線を向けもせずに、俺の前を通り過ぎて行ってしまった。この距離で気づかないなんて、仕事で何かあったのだろうか。思い詰めた様子ではなかったものの、今夜あたり久しぶりに電話でも入れてみようか……。
そんな事を考えるうち、アンティーク店が見えてきた。薄暗い店内のせいか、ショーウィンドーに映る街並みが際立っていた。そして店の手前まできた時、俺の足は止まった。
ショーウィンドーには街路樹や、街行く人達が映っている。……でも俺が、俺が映っていないのだ。ゆっくりと近づき、まばたきを繰り返してみても、ショーウィンドーに映る街の光景のなかに、俺の姿がなかった。
「これはこれは、いらっしゃいませ」
ドアの隙間から、口の端で薄く笑う店主が唐突に声をかけてきた。……この店主には、俺が見えているのだろうか。戸惑いつつ店内に導かれはしたが、店主がかけているサングラスにも、やはり俺は映っていない。
「いやはや、これはまたずいぶんと写真を撮られたようですな。あなたの存在が、ほとんど消えてしまっている」
「……どういう事ですか」
「あのカメラはですね、あなたの夢を望みのままに反映させながら、あなたそのものを写真という世界に収めているのです」
「俺そのものを……」
「ですからシャッターを押すたびに、こちらの存在が、徐々にあちらへと移行する」
「じゃあ……、俺は消えてなくなる」
「こちらの世界では、ね……。おそらく、あと十枚がいいところでしょうか」
俺は売り物のソファーに力なく腰を落とすと、どうにかして欲しいと懇願の眼を向けた。
「……仕方ありませんな。こちらの世界にいまだ未練がおありなら、あのカメラを買い戻させていただきましょうか」
「そうすれば、俺は助かるんですね」
「いいえ、買い戻しはほんの一助に過ぎませんよ。その後の事は、あなた次第でしょうな」
「……そんな」
「なあに、自らを取り戻して行く道のりは長くて辛いものになるやも知れませんが、楽しい事もきっとあるでしょう。要は、あなたがその道から眼を逸らさずに歩んで行けばよいのです」
俺は分かったような、分からないような気持ちのまま、とにかく必死に頷いた。このまま消え去ってたまるもんか。
「それでは、あなたがあのカメラをお持ちになるまで、今日は店を開けておきますかな」
店主の言葉に背中を押され、あんなカメラなどさっさと手放したい一心でドアを開け放つと、俺は勢いよく店から飛び出した。