変化求む
二週間前になる。
「いかがでしたか」
投石をして窓ガラスを割った男が、ボロ家に向かって平然と声をかけていた。
「このくらいが関の山じゃな」
陰気な感じのしわがれ声と共に、紙つぶてが弧を描く。
おれは目の前の光景に呆気にとられた。紙つぶての正体が、丸めた一万円札だったからだ。しかも二枚。玄関には“変化求む”との貼紙がしてあった。
窓ガラスを割るくらいで謝礼金まで貰えるんなら、やらなきゃ損だよな。立ち去った男を真似ておれも石を投げてみた。だが、ボロ家から返ってきた言葉に、柄にもなく言いようのない恥ずかしさを覚えてしまった。
「また投石か……。味気ないのう」
これが、おれとじいさんとの出会いだ。
とうぜん謝礼金が目的だったが、味気ないと言われたのも悔しかった。だから変わり者のじいさんを見返すために、おれはない知恵を絞って毎日変化を与えた。七日間で四十二万稼ぐのも並大抵の苦労じゃなかった。
そう言えば、あの猫は元気だろうか。
一週間前になる。
「お前さん、なかなかのもんじゃな」
手渡しで謝礼金を受け取ったのは、この時が初めてだった。
「そこで、頼みたい事があるのじゃが……」
消火器の消化剤にまみれたじいさんの頼み事とは、こうだった。青森へ親類の墓参りに行く。交通手段は車。高齢と腰痛を抱えているから運転を引き受けてほしい、と。
「それだけ……か?」
「ああ、そうじゃ。もちろん謝礼金もはずむぞ。百万円くらいでどうじゃ」
噂によるとじいさんは、ボロ家住まいだけれど東京では有名な資産家らしい。高層マンションを何棟も所有しているだの、旧何某家の御出身だのと、近所中で囁かれていた。
暇と金を持て余すと、ひどく訳の分からない事を考え出すようだ。運転するだけで百万円だと? せっかくの申し出だ、引き受けない訳がない。
「よし、決まりじゃな。わしはこれから諸々と仕度があるのでな、悪いが四日後の早朝に来てくれい」
こうしておれは、青森までじいさんとドライブする事になった。
そして、今。
ルームミラーには、迫り来るパトカーの群れが映っていた。
「じいさん、あんた何やったんだよ。息子に電話かけるとか言って何度か公衆電話使ってたけど、ありゃあ嘘なのか」
「いいや、たしかに愚息にかけたさ。ただし、脅迫電話じゃ。こらっ、気をつけんかっ」
おれは電柱に追突しそうになりながらも、どうにかハンドルを切って体勢を立て直す。
「何を考えてんだっ、じいさん」
「そうさな。誘拐事件の人質などそうそうなれるもんじゃなし、わしは興奮しておる。お前さんも楽しんだらどうじゃ」
「じゃあ、おれは誘拐犯かよっ」
「かよわい金持ちの老人をさらった頭の切れる犯人様じゃ。わしの熱演のおかげじゃぞ」
とんでもなくいかれたじいさんだ。自作自演の誘拐劇に、おれを巻き込みやがった。
「何でこんな事すんだよっ」
「お前さんには、関係のない事じゃ」
「関係大ありだろうが、このクソじじいっ」
「うるさいっ、お前などに日々繰り返される侘しさが染み付いたわしの何が分かるかっ」
パトカーが後方を塞ぎ、前方の交差点は封鎖されてバリケードが築かれていた。
「……もういい、止まってくれい。事情はきちんとわしから説明するから」
「冗談じゃねえよ、クソじじい。あんたの事なんか知らねえけどよ、息苦しくてどうしようもなくやりきれねえんだろうがっ」
じいさんは黙り込んだまま、おれをじっと見てやがる。違うって、おれはただ、中途半端が嫌なだけだ。……もうこれ以上はな。
「それで、身代金はいくらなんだよ」
「二億円じゃ」
「その倍額をボーナスでどうだ」
「よしきたっ、お安い御用じゃ」
何をそんなに楽しんでんだよ、じいさん。まあおれも、じいさんの事は言えねえか。
「しっかり掴まってろよな、クソじじいっ」
「進めえ、突き進むのじゃあっ」
おれはアクセルを目一杯踏み込むと、ぐんぐんスピードを上げて行った。