迷い子

            迷い子
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 自由で気ままな“あいつ”がふらりと姿をくらますのも、今年に入って何度目だろう。
 遊び盛りの年頃で好奇心旺盛なんていえば聞こえはいいが、その実、じっとしていられないただのガキんちょである。可愛げなどとっくに失せ、いまでは苛立ちが勝っている。
 日曜日にくたびれた相棒のソファーへ根をおろせなくなった私は、捜しあぐねて棒になった脚を色あせた遊具のライオンに座ってほぐしながら、またも“あいつ”が立ち寄りそうな場所を指折った。河川敷、図書館の駐車場、消防署の向かい側、たい焼き屋の店先、崩れそうなブロック塀が放置されたままの空家、それからなんやかやガキんちょの目にだけ輝いて見える諸々の狭かったり臭ったりする場所……、そして、この児童公園。
 出社と出社の狭間に、ぶらりとさがった休日。そんな休日に持て余す“あいつ”を捜す私。これなら休日などないほうが清々する。
“あいつ”をもっとうまく扱えないだろうか。
 上司に相談でもと考えたが、親身の先にある評定という落とし穴を墓穴にしたくないばかりに、結局相談せずにいる。最近“あいつ”を捜し歩くのが増えまして、などと下手に口を滑らせば、しみじみ響く温かい助言の後には、社員としての信頼と社会人としての体面の失墜が控えている。そもそもなんて切り出せばいい。ガキんちょである“あいつ”のしつけ方や、折り合い方の教えを乞うために。
 それは家でも同様である。なにかと家を空ける妻の気を損ねたくないからだ。気を損ねる弾丸のほうは妻が込めている気がしないでもないが、その銃の引き金は確実に私の指にかかっている。そして娘は……、まあ、こちらは論外だろう。なんせ言葉すら通じないのだから。行き先も告げずに遊び歩く年頃の娘は、時おり冗談で私を宇宙人さんと呼ぶ。
 脚が棒でなくなったところで、私は深呼吸をした。“あいつ”はどこなんだ? 暮れゆく空を見あげ、胸のうちをからっぽにして深呼吸を繰り返すうち、ようやくソワソワザワザワとする“あいつ”の存在を感じた。私はライオンから腰をあげ、次第に強まる感覚に手繰られながら、疲れた足を運んでいく。
 そこは梅林や畑ばかりの地域に、ひょっこり建てられていた大型ショッピングセンターの跡地だった。敷地を囲う柵に沿って歩きながら内側の様子を窺った。解体は中途で放置されたまま、一階とわずかに二階部分が残されていた。柵には所々立ち入り禁止と大書されてはいたが、それらはかえって子供の好奇心を煽るだけだった。それを証拠に、柵の内側からは子供らのはしゃぐ声が響いてくる。
 屈託を知らぬ、まっさらな声たち。
 私は“あいつ”の姿を捜し求め廃墟に目をやりながら、さらに柵沿いを進んでいった。
「きゃっ」
「あっ、失礼。怪我はありませんでしたか」
 ぶつかった同世代の女性はこちらには目もくれず、柵の内側に顔を向け続けていた。私の不注意だった。柵の周囲には、内側の廃墟を凝視し子供らのはしゃぐ声を胸へ響かす大人たちが、互いに距離を保ち散在していたのだ。なにがそうさせるのか戸惑いつつも、私はそこに留まり、いきおい口を開いていた。
「私にとっての廃墟は、冒険の島でした。大きな剣を振るい、お姫様を救い出すような」
 化粧では覆えずにいる気だるげな表情はそのままに、女性は高級な外車の鍵を手の中で無造作に握り直すと、カチャリと鳴らした。
「……わたしには魔法の国でした。心もとない王子様を助けて、共に旅をするような」
 乾いて艶のない髪が頬をくすぐったからなのか、女性は口もとだけを薄く綻ばせた。
 その女性と言葉を交わすことは、それ以上なかった。だが、子供らの声が幼き頃の幻影を結ばせ、互いの隔たりを融かし、密度を増していく空気だけが静かに交わり合っていた。
 そこへ“あいつ”が戻ってきた。男勝りの活発そうな少女を連れ。少女は軽々と柵をよじ登り“あいつ”に手を伸ばすと、一緒にこちら側へ着地した。上気した二人の頬から漂う熱っぽさが、迎えにきた私たちを無言で責めていた。まだ遊び足りないのに、と。
 それでも停めていた外車へ女性が歩き始めると、少女は慌てて駆け出し、女性の胸のうちへと楽しそうに跳び込んで帰っていった。
「あーあ、つまんないや。もうおしまい?」
 頭のうしろで手を組む“あいつ”が、ぶすっと呟く。すると女性が振り向き、ゆるやかに会釈した。少女を宿したその瞳は、私たちに手を伸ばしているようにも感じられた。
 道を引き返す私を“あいつ”が問いたげに見あげてきた。いつものように、私はいう。
「子供のままじゃいられないんだよ」
 小石をポンッと蹴り、“あいつ”が胸のうちに帰ってきた。拗ねてむくれた顔のまま。