+ × = -

+ × = - (プラス・カケル・イコール・マイナス)
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 とある社長が殺害を予告されていた。
 指定された日時の当日。午前。
「……とまあ、読んでもらって分かるようにだね、最後に届けられた予告状には本日午後八時に殺すと書いてある。それで今日だけ君を雇うことにしたのだが、ボディーガードは一人で充分だと伝えておいたはずだよ」
 社長室には黒スーツの屈強な男が二人、威厳を漂わせ厳かに並んでいた。
「ご安心ください。こちらのボディーガードは、あなたのボディーガードを務めさせていただく私のボディーガードですので」
 葉巻に火を点けかけた社長の手がとまる。
「つまり、なんだね、彼は私の楯となる君の楯ということかね。それで君はボディーガードとしてボディーガードに守られながら、同時に私の命をも守る自信があるのかね」
「はい。仕事ですので、お任せを」
「ボディーガードのボディーガードね」
「ええ、念には念を入れませんと」
 社長はなにやら、ぶつぶつと呟き出す。
「転ばぬ先の杖の杖、説明書の説明書、ブックカバーのカバー、執事の執事、マスクのマスク、蓋の蓋、保険の保険、ふむふむ」
「なにを仰りたいので?」
「ちょっと気になったんだがね、転ばぬ先の杖の杖にはもう杖は必要ないのだろうか。まあ考えてもみたまえ、説明書を説明する説明書が必要であるのなら、説明書の説明書を説明する説明書も必要に応じて必要になってくる道理じゃなかろうか」
「そこまでは必要ないと思いますが」
「君にはそうだろうね。だが……」
 社長のボディーガードの隣で社長の視線を感じた社長のボディーガードのボディーガードが、慌てて連絡を取り始めた。
 午後八時、ほんのすこし前。
「熱気でのぼせてしまいそうだよ、君」
 社長室は社長のボディーガードのボディーガードのボディーガード、さらにそのボディーガードに雇われたボディーガードがまたボディーガードを雇うという連鎖によって集まったボディーガード達であふれていた。
「しかしこの人数ですので、ご安心を」
「なにをいっとるんだね、君は。これだけボディーガードがいたところで、私を守るボディーガードは君一人しかおらんじゃないか」
 午後八時。
 ドアが蹴破られ、ボディーガード達でひしめく社長室に、殺し屋が飛び込んできた。
 ボディーガード達はボディーガード達の楯となり、楯となられ、わらわらと蠢く。
「そら君、頼んだよ」
「危険です、おさがりください」
「そう無茶をいわんでくれたまえよ、君」
 一時間ほど前から社長室の隅に押しやられていた社長を目指し、殺し屋がボディーガード達の人波を掻き分け突進する。
 肘打ちを脇腹にくらい足を踏まれたボディーガード達が雇主のボディーガードに危害が及ぶのを防ぐべく、いっせいに銃を抜いた。
 轟音がとどろき、ボディーガード達が互いの流れ弾でばたばたと倒れるなか、奇跡的に人波を無傷で泳いだ殺し屋が社長に迫った。
「そ……それ以上、貴様を前には」
 流れ弾で腹部を負傷した社長のボディーガードが楯となるが、殺し屋は無言でその楯を弾き飛ばし、社長の額に銃口を押しつけた。
 なすすべなく、社長はそっと目を閉じる。
 だが額の圧迫が消え、すぐさま目を開けた。
「な、なぜ……」
 社長のボディーガードのボディーガードのうえに、喉を裂かれた殺し屋が倒れていた。
「助かったのか。しかし、どうして」
 社長は呆然とするなか、ナイフを拭いながら立ち去る全身黒ずくめの男を見い出した。
「あれはボディーガードの誰かをボディーガードしていたボディーガードのうちの誰かではなかろう。あの風体ならば、むしろ……」
 自分を殺しにきた殺し屋を殺しにきた殺し屋に違いない、と社長は悟った。
「いかん、礼のひとつもいわねば」
 ボディーガード達の流れ弾に当たった右脚を引きずり、社長は廊下に辿りつく。だが新たな銃声がし、廊下の先で社長を殺しにきた殺し屋を殺しにきた殺し屋がどっと倒れた。
「……そうか、私を殺しにきた殺し屋を殺しにきた殺し屋をさらに殺しにきた殺し屋がいたというのだな。そしておそらくその殺し屋を狙う殺し屋のその先にひかえる殺し屋の殺し屋の殺し屋達もいることだろうて」
 数十秒間隔で響く銃声が非常階段をおりていき、ようやく社外に遠ざかり始めると、社長は社長室に戻り受話器をあげた。
 殺害予告の顛末をあちこち確認するため。
「もしもし社長ですか? 社長ですが」