旅する者

           旅する者
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 その旅人は、言葉を探し求めていました。
 山や谷をいくつも越え、ときに草原や河原で小鳥たちと語らい、国から国へ、村から村へ、そして家から家へと世界を旅しながら。
 どんな家にも、その家の言葉があります。
 そこで産まれやがて息をひき取った者、そこをつくり家族を育んだ者、そこへおもむき共に歩んだ者、そういった者たちが家に刻み込んだ言葉。他にもそこで生きた者の数だけ、家には言葉があるのです。
 陽に灼かれ、雨に打たれ、風に吹かれ、旅人はそれらの言葉を探していきました。
 西方の煌びやかな国では、豪奢な邸宅の屋上に言葉が掲げられていました。その国で成功し、生を謳歌する者が謳いあげた言葉。見あげる旅人に、金や銀で装飾を施された言葉は、これが世の根幹を成すのだと、誇らしげに迫っていました。旅人は国土を埋め尽くそうと建ち並ぶ邸宅をあちこちと訪ね、数多の言葉に触れてまわり、高熱に浮かされたようになって、煌びやかな国を後にしました。
 それから数ヶ月、旅人は、はあはあと砂漠を渡り、ふうふうと山脈を越え、北方にある寒さが厳しい国に辿り着きました。
 その国では家が凍りつき、言葉を探すにも苦労しました。そもそも言葉は煌びやかな国のように屋上に掲げられるなど稀で、たいていは家のどこか、柱の陰や床の隅、台所の端や壁にはしるひび割れの横などに、慎ましやかにひっそりと刻まれているものなのです。
 旅人はそれらの場所を丹念に調べ、氷を砕き、削り、融かし、言葉を探し出しました。寒さが厳しい国の言葉は、寒さのせいで言葉までが凍っていました。他者や自己を蔑んだり、傷みを世間に転嫁したりしていたのです。なかには温もりを秘めた言葉もありましたが、それらの言葉ですら、氷を融かせずにいました。さすがに旅人も凍てつく寒さには耐え切れず、寒さが厳しい国を後にしました。
 そうしてまた数ヶ月、旅人は、はあはあと山脈を越え、ふうふうと国の境を渡り、南方のおおらかな国に辿り着きました。
 その国でも旅人は、言葉を探すのに苦労しました。おおらかな国の者は、そのおおらかさ故、あまり家に言葉を刻まないようなのです。ですが旅人は諦めず、大宴会で興に乗って柱に刻まれた言葉や、祭りの際に捧げられた言葉や、魚の大漁を海に感謝する言葉などを探し出しました。旅人は楽しさからついつい長居をしましたが、本来の目的のため、ようやくおおらかな国を後にしました。
 それからの数年間、旅人はいろんな国を巡りました。何事も忙しない国や、みんな斜めの国や、すべて逆立ちする国、丸かったり尖ったりしている国などを訪れたのでした。
 そしてある日、とある国のなだらかな丘を抱えきれない言葉を背負い、眼をまわしながら歩く旅人の前に、一軒の家が現れました。
 さっそく旅人は、その家の言葉を探し始めました。ですが、いつもなら言葉が刻まれているはずの場所を探しても、言葉はぜんぜん見つかりませんでした。念のため天井裏や床下に潜っても、まったくないのです。
 旅人は頭をひねり、さらにひねって、はたと気づきました。この家には誰も住んでなく、これまでも誰ひとり住まなかったのだ、と。
 まっさらなキャンバスのような家。
 旅人はその家を、自分の家にしようと決めました。家も誰かに住んで欲しいはずだ、と。
 そして旅人は、これまで訪れた国や村の家々にならい、その家に言葉を刻むことにしました。言葉を並べ、じっくりと吟味し、これにしようとある言葉を選び出しました。
 ですが、きれいな柱に言葉を刻もうとする旅人の手は、ふと止まってしまいました。
「この言葉でいいのだろうか。本当に、この言葉で……。いいや、よそう。だってここにある言葉は、みんな誰かの言葉じゃないか」
 旅人は言葉を刻むのをやめました。けれども旅人は、それをやめたからといえ哀しみはせず、むしろ微笑んでさえいました。
「もう誰かの言葉は充分だ。これからは自分なりの言葉を探そう。そうして言葉を見つけたら、この家に持ち帰って育てよう。やがてそれが新たな種をつくり、この柱に刻むべき言葉を宿すに違いないのだから」
 旅人はもりもりと食事をして、その日は眠りにつきました。そして翌朝、すべすべした柱に触れ、またの再開を誓い、旅人はまっさらなキャンバスのような家を後にしました。
 こうして、新たな旅が始まりました。