どつぼ
最近がっくり落ち込んでいると聞き及んだのでと、疎遠だった寡黙な友人から自身の日記を手渡された。参考にでもなれば、とのこと。わたしは、すがる思いで読み始めた。
五月十五日
気が置けない同僚の指摘により、左足がどつぼに嵌まっていると気づく。なぜ私が、と思うと意外だ。どつぼは素焼きで煤け、縄文式土器に酷似。且つ、ひどく歩き辛い。
五月二十日
ごまかしきれず家族に露見。妻、激昂。初めて知る一面。娘は無関心を装う。距離を埋める言葉なし。おおげさに騒がず、常と変わらぬ日々をおくることで意見が一致。
六月十日
腰の違和感が和らぐ。どつぼに慣れてきたのだろうか。すれ違う人々の視線が露骨さを増す。ひそひそ話が、聞こえよがしに。若者から握手や写真を求められ、戸惑うばかり。
六月十八日
夜八時以降この道は通るなと、受験生を持つ母親から詰め寄られる。地を掻く足音が気に障るらしい。帰宅路の変更を約束する。
七月三日
遅く帰宅すると新聞記者の出迎え。身なりを整えていた妻と並んでの取材。どつぼに嵌まり苦労する私を差し置き一方的に発言する妻の横で、黙したまま心情を拝聴。取材の件は初耳だったが、いい機会となる。
七月八日
新聞に載ったせいか、周囲の視線が柔らかくなる。記者から受け取った私宛の手紙にも同情や励ましの言葉が多い。だが一通、気になる手紙あり。ひとりで頑なになればなるほど、どつぼは肥大し呑み込もうとする。どつぼ経験者のある老人による訓戒。現在では左足の小指に引っ掛かっている程度だとか。
八月二日
断りきれずテレビ番組に生出演。当初問われるままに自身の窮状を語るが、途中から舵を取り方向転換。妻のパート先や娘の中学校へは、興味本位で集まらないでほしいと頭をさげ強く訴える。どつぼに嵌まっているのは私。妻や娘は、そっとしておいてもらいたい。
八月十三日
久々に顔を見せにこいと母を介し親父からいわれていたこともあり、実家に帰省。新幹線のホームにて、ちょっとした事件。以前からどつぼの欠片を入手すべく私に付き纏っていた蒐集家の男が接近。だが妻がハンドバッグで防戦し、娘が手を震わせ盾となり、事なきを得る。男は姿をくらまし、騒ぎはすぐに収束。新幹線はホームに金づちを残し定刻通り発車する。車内で贅沢な弁当を奮発。私は胸と喉が詰まり、昼を抜く。
八月二十六日
受験生を持つ母親が謝罪にくる。ついでよく呑み込めない理由ながら、是非あやかりたいので息子に御御足に触れさせてやってほしいとの申し出を受ける。むしろ触れないほうがいいのでは、という提案に耳をかす素振りはみせず。いまもって不可解な母親である。
九月一日
どつぼの掃除。散歩にて踏んだガムを妻が取り除く。かたわらで冷却したほうがいいと意見していた娘が、どつぼが小さくなっていると指摘。妻も賛同。私も頷いてみせる。実際のところ、どつぼは大きくもならず小さくもならずなのだが、二人がそう思うのならそれでいい。私もそう思うようにする。そうすることで家族と笑顔を交わせるのだから。
十月三日
娘が初めて焼いたクッキーに舌鼓。妻は鼓にしくじり、舌を噛む。ほおばりすぎと、あれほど注意したのだが。それから我が左足のどつぼには、相も変わらず変化なし。
友人の日記を置き、凝り固まった背筋を伸ばす。ほんのすこしばかり、曇った気持ちが晴れたようだ。いまのわたしには、そのほんのすこしばかりの晴れ間から射し込む光がとてもあたたかい。友人には日記を返す時にでも、うまい酒を奢らせてもらおう。
もう無闇と躍起になるのはやめだ。自分のペースで、じっくり探すことにしよう。どこかへ落した、わたしの大切ないかり肩は。