博士と助手の結晶
博士が長年の心血と、潤沢な妻の資産を注ぎ込んできた研究の成果がいま、試されようとしていた。
「さあ博士、“すべてを透視する眼鏡”を装着してみてください。これまで苦労しましたもの、かならず成功しているはずですわ」
大学の元教え子であり、他の科学者からは夢想と一笑されていた博士の研究に理解を示し、その後、四年の間研究を共にしてきた唯一の、みすぼらしい研究室に奇跡的に咲いた美しい一輪のバラである美人の助手が、椅子に座る博士の肩に優しく手を添えた。
「う、うむ」
だが博士は目をつぶり、思わず祈った。この研究が実を結べばレントゲンやCTスキャンの必要はなくなり、癌細胞や脳腫瘍の早期発見などで医療に貢献できる。いやそれだけでなく、空港の手荷物検査や、警察などで爆発物の有無を調べる場合にも大いに役立つはず。その他、埋設された水道管の亀裂を発見したり、橋脚の鉄筋の腐食具合を調べたりも可能になる。研究成果を活かせる分野は多岐に渡るのだ。世の中はよりよくなるに違いない。頼む、成功していてくれよ、と。
深く吸った息をはき、博士はようやく“すべてを透視する眼鏡”を、慎重に装着した。
そして。
「……お、お、おおお」
博士は頭をあげ、ゆっくりと、おそろしくごくゆっくりと、おろしていった。
その様子を、助手は固唾をのんで見守っていた。博士の目の前にたたずみ、白衣を纏っていてもその存在感を覆い隠せずにいる豊かな胸の前で両の手を握り合わせたまま。
「お、おお……なんてことだ……ああ、肝心なものが見えな……むむむ……うむむ」
博士の頭は正面を向いた位置よりやや下方あたりで、その動きを止めた。
「……お、おおおっ。そうか、そうなのか、そんなことになっているのか……」
助手は要領を得ない博士の言葉から結果を推し量れず、かるい苛立ちをおぼえながら胸の前の手をほどき、ほどいた両の手をくびれたウエストを挟むように腰にあてた。はからずもその立ち姿は苛立ちではなく、助手の持つ、いまだ崩れ知らずの曲線美をより強調するだけであった。
博士の頭は再び動き出し、いったん下まで到達すると上へと戻り、今度は正面の位置よりやや上方あたりで動きを止めた。
「ううむ、やはりな……やはりそうであったか。よもやこんな具合もあろうかと眠れぬ夜に想いを巡らさないでもなかったが、なるほどな。度を越してやりすぎか」
興奮を抑えきれずにいる博士に一歩詰め寄り、助手は覗き込むように前屈みになった。
「それで博士、この研究は成功ですか。それとも失敗に終わったのですか?」
口元に笑みを残したまま、博士は“すべてを透視する眼鏡”を慎重にはずした。
「どうやら研究自体は成功のようだ。だがこの眼鏡は、いまの段階では失敗といえる」
「どういう意味です?」
「それはだね、見えないのだよ。きみも、きみの背後の器具や壁も、その壁の向こうにある街並みも、なにもかもがね」
「それは、つまり?」
「すべてが透けて透明にまで至り、結局なにも見えなかったということだ」
数日後。普通の眼鏡の度数を調節する要領で行われていた調整が済み、博士は“すべてを透視する眼鏡”を再び装着した。
「……おお、ついに完成した。見事だよ。見事だよ、きみ。喜びたまえ、努力が報われたのはきみの力添えのおかげでもあるのだからね。おお見える、よく見えるぞ、すべてが」
助手は喜びを分かちつつも、博士の目の前で静かにたたずんでいた。
「おや、なんだ? ……これは……まさか」
博士は脳裏をよぎる蔑んだ妻の視線に震えあがり、慌ててはずした“すべてを透視する眼鏡”を床に落してしまった。
「き……きみ……」
レンズの砕ける音など気にもせず、助手は博士をじっと見つめたまま、慈愛あふれる手つきでいたわりながら下腹部を撫でていた。
「いま何週目だね?」