行進

            行進
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 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 おれは昔から不器用だった。それがいけなかった。その場にしゃがみこみ、背後から迫る行進にも気づかず、ほどけた靴ひも相手に悪戦苦闘していたのだから。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 はじめのうちは何が起きたか理解できずにいた。路上に倒され、胎児のように丸くなり身を庇っていたからだ。だがしばらくして眼の前を通り過ぎる痩せた棒切れが人々の脚だと分かり、ようやく事態を悟った。おれは行進に巻きこまれてしまったのだ、と。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 行進はおれを跨ぎ、蹴り、踏みつけ、途切れることなく進んでいった。行進する人々の足音は規則正しいリズムを刻み、おれに躓くことさえなかった。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 行進にもまれ、立て続けに受けた側頭部への衝撃で意識が朦朧とし、とりとめのない考えが頭のなかを巡った。おれはこのまま行進する人々の足元で朽ち果てるのか。混合したひとつの影しか持たない人々の足元で……。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 意識を失う寸前、一本の腕に引き起こされた。その腕に支えられ、おれもどうにか歩き出した。よろよろと人々にぶつかっては弾き返され、何度も倒れかけたが、その度に腕の主はおれをしゃんと立たせ、行進の足並みを乱さないよう導き、人々が追い抜きざまに与えてくる痛みを無言で共にしてくれた。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 おれは人々にぶつからず、追い抜かれもせず、足並み揃え行進できるようになった。だが腕は離され、知らぬまに腕の主は消えていた。さがそうにも周囲の人々は似たり寄ったりで、誰が誰やら区別がつかなかった。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 行進はどこへ向かうのか。行き先を知ろうと飛び跳ねたが、先頭は見えなかった。せめて自分の位置を確かめようと再度飛び跳ねたが、最後尾すら見えなかった。行進は先も後もなく、ただ人々であふれていた。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 何度も試みた行進からの脱出は、いつも失敗に終わった。前進を阻まれた人々から殴られ、さんざん振りまわされた挙句、元の場所へと押し戻されてしまうのだ。人々の壁は厚く、とても頑丈だった。脱出の試みで繰り返される痛みにより、行進を抜け出そうとする気力は削ぎ落とされてしまった。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 行進に身を委ねて歩くうち、時間がうまれた。その時間を使い、おれは人々の足元を眺めた。いまだ新しそうな靴、くたびれた靴、おれと同じく靴ひもがほどけたままの靴。なかには血を滲ませた裸足もあった。しかしどの足も、一様に土と埃にまみれていた。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 やがてあまりある時間は苦痛に変わり、おれは過去にすがろうとした。だが不思議と行進に巻きこまれてからのことだけが思い出された。精彩を欠いた、味気ない記憶ばかり。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 行進する人々の間に不穏な空気が流れた。といっても足並みは乱れず、リズムも決して狂わなかった。おれは人々の隙間から前方を見据え、刺々しい雰囲気の原因となった異質な塊を見出した。路上で丸くなり身を庇う若者。おれはとっさに手を差し伸べた。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 おれは若者と一緒に無言で歩いた。行進するペースは落ち、人々から小突かれ、わざとらしく肩を当てられたが、痛みはほとんど感じなかった。若者は苦悶の呻きをもらしながらも、瞳に感謝の念をこめ見上げてきた。その瞳に、おれは愕然とした。瞳に映る人物がおれなのか、それとも追い抜いていく人々なのか、はっきり区別がつかなかったのだ。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 若者の足取りを確認し、ひとりで大丈夫と見極め腕を離した。腕に感じていた若者の体温は留まりもせず、おれから抜け出ていった。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 おれは人々を押し退け、闇雲に前へ前へと進んだ。そうすることで若者の姿も、瞳に映った人々の影も忘れることができた。もうこれで若者から照らされることも、眩しさのなかで自分自身をさがすこともしないで済む。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 そしておれは、わずらいのない適度な位置におさまり、行進のリズムと調和した。
 おれは、行進していく。
 いや違う、おれではなく、我々が、行進していくのだ。どこかへと、どこまでも。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。
 ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ。