陰の父の影

          陰の父の影
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 はあっ、ふうぅぅぅ。
 ロウソクの火を吹き消すと、母は子供みたいに手をたたいてはしゃぎ、弟はおめでとうと面倒くさそうに呟いた。
 今日はあたしの十六歳の誕生日。
 テーブルの中央にはケーキが置かれ、そのケーキを囲んで母の手料理が並んでる。もちろん、どれもあたしの好きなものばかり。
 でも、この場に父の姿はなかった。
 我が家では、家族の誕生日は家族全員でお祝いするルールになってる。なのに父は、姿を現わそうともしてくれない。
 せっかく顔を出すチャンスだったのに。
 父が姿を隠すようになって、もうすぐ半年になる。といっても、失踪したとか、家を出て行ったとかじゃない。父はちゃんと家にはいる。ただ家族と顔を合わせないよう、天井裏とか床下とか捜す気も起きないようなどこかで、じっと息を潜めてるだけで……。
 きっかけは父と母の喧嘩だった。原因までは知らないけど、二人とも意固地なだけなんだと思う。それ以来、父は姿を見せないよう必死だし、母は無駄に元気よく空まわりしてる。
 はじめのうちこそ、押入れのなかや台所の片隅、湯船のふたを開けた瞬間やトイレの便器と壁の隙間に潜む父を見てしまうことがあった。気づくと踏んでたことも二回。そんな時、父は新たな隠れ場所を求めて、いつも無言で立ち去ってしまった。
 失敗は成功のもとって言葉、こんな場合にも当てはまるのかな。
 最近は父がいつ仕事へ行き、いつ帰宅したのかさっぱり分からない。在宅もなんとなく気配を感じるか、まったく感じないかだけで判断してる。まるで幽霊みたいな存在。トモヤ君じゃないけど、そう思いたくもなる。
 トモヤ君には悪いことをした。クラス違いの壁を乗り越えてやっと家に誘える仲にまでなれたのに、お茶を淹れてる間にそそくさと帰ってしまったのだから。顔を青くして、膝まで震わせて。それが先週の土曜日。月曜日に学校へ行ったら、あたしの家には幽霊が出るって噂が流れてた。
 その夜、ベッドのなかで泣いた。悲しいより、悔しくて。土曜日はふわふわしてて、父の気配に気づけなかった。土日は休みだって分かってたのに。父が幽霊の振りしてなんかしたんだ。そんな邪魔の仕方ってあり? あたしは布団に包まって、ずっと叫んでた。お父さんのばか、ばか、ばか、って……。
「それじゃ、もう寝るね。おやすみなさい」
“そもそも我が家は三人家族ですの”みたいに振舞う母と、“夫婦ってそんなもん”と理解してるようでなんにも考えてないだけの弟を残して、あたしは自分の部屋に戻った。
 ベッドに転がり溜め息ひとつ。なんか疲れた。とくに今日は。からっぽの自分を演じてると肩がこる。また溜め息。あたしはそんな自分を振り払おうと寝返りをうった。
「えっ、なに」
 机の上に、父からのプレゼント。
 あたしには可愛すぎるハンドバッグと、トモヤ君が好きなバンドのライブチケットが二枚。一緒に行けってこと? だけど、トモヤ君の好みをなんで知ってるのかな。きっとユキとの電話を、どこかで聞いてたんだ。
 でも、もういいよ。たくさん泣いたし、がっかりもしたから。だってトモヤ君、かっこ悪いんだもん。家から逃げ出した時の顔も、くだらない噂を流したことも。だから恋はおしまい。そう決めたから、もういいの。
 ゆっくり深呼吸して、そっと眼を閉じる。
 ほら、やっぱりいた。クローゼットのなかに父の気配。あたしは一歩踏みこんで、クローゼットを思いっきり開け放った。
 すこしだけ太った父が、気まずそうに笑ってる。
 そんな父の腕をいそいで掴む。
 そしてもう一回、深呼吸。
「あのさ、お父さん……ライブとか興味ない? ひとりじゃつまんないし、チケットもったいないから一緒にどうかな」
 しばらく戸惑いながらも、父は幼児をあやすように、あたしの頭をぽんぽんたたいてきた。トモヤ君、ぽん。あたし、ぽん。これまでの、いろいろなこと、ぽんぽん。たくさんの“ごめん”があふれてる。昔とちっとも変わらない、言葉に出来ない父なりの謝りかた。
 一応、反省してるんだ。それなら、もうちょっと反省を深めてもらわなくちゃ。
「でね、ライブに行く前にハンドバッグにぴったりの服も欲しいなあ、なんて」
 別にいいよね、これくらい。
「……ああ、そうか。うん、そうだな」
「ほんと? やったね」
「今度、買いに行こう。……うん、今度な」
 そういうと父はなんだか嬉しそうに苦笑しながら、眩しい灯りがともるクローゼットの奥、はずした板のその先へと、ためらいがちに去って行った。
 お父さん……やっぱりそうなの?
 だけど、ここからやり直せるんだよね。あたしたち、みんな家族だもんね。そうするべき、なんだよね。
 ……けれど、なんでかな?
 久し振りに幽霊なんかじゃない温もりある父の声に触れて、あたしはくすぐる影に引かれ、揺れていた。