ぶちまける

          ぶちまける
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 ある夫婦が胸を開き、腹を割って話し合っていた。血なまぐさい様相をていしながら。
「おれが浮気? 冗談じゃない。こんなきれいな腹の中をしてるおれが、嘘をつけると思うのか。よく確かめてみろよ」
 実際、夫の腹の中は黒くなかった。
 妻も、それだけは渋々ながら認めた。
「でも心臓のここのところ、よく見たら毛が生えてるようじゃない。図々しい証拠だわ。だからパート従業員に手を出しても、あたしの前で平然としてられるのね」
 夫は、妻の父親が経営する町に一軒しかないスーパーの店長をしていた。二年前の結婚と同時に、義父から用意されたポストである。
「馬鹿をいうなよ、こんな小さな心臓のどこに毛が生える余地があるんだ。おれの心臓は見るも情けないノミの心臓じゃないか」
 夫は肺を左右にひろげ、この心臓に浮気をする度胸なんてあるはずがないと、妻の目の前にさらした。
「どうかしら、あやしいものよ。やけに鼓動が早いじゃない。潔く認めたらどうなの、あなた。あたし見たんだから、こそこそとスーパーの裏で、あなたたちがキスしながら楽しそうに話しこんでる姿を」
 夫は飛び出しそうになる心臓を必死に押さえ、口を尖らせて反撃に出た。
「きみの方こそどうなんだ。あれほど酒は控えろと医者にいわれてるのに、肝臓が硬くなったようじゃないか」
 肝臓をもてあそぶ夫の手を払いのけ、妻は煙草に火をつけた。
「いま以上に肺を黒くしてどうする。もう充分だろ、よせったら」
 夫は煙草を奪い取り、無造作に寝室の床へ投げ捨てた。煙草はじゅっと音を立て、鮮血の海に沈んで消えた。
「ねえ、分からないの? あたしがお酒も煙草もやめられない理由が」
「知りたくもないね」
 妻は勢いよく胃をむき出した。
「見てみなさいよ。痙攣してるでしょ。死ぬほど痛くて苦しいんだから、この胃が」
「まったく見えないね、痙攣なんか」
「ストレスよ、ストレス。お酒も煙草もやめられないのは、あなたの浮気が原因よ」
「ふざけるな。何もかも、おれのせいにすればそれで済むのか。きみは結婚当初から、酒も煙草もやめようとしないじゃないか」
「ちょっと、大きな声を出さないでよ。お父さんに聞こえるじゃないの。これ以上、お父さんに心配かけないでちょうだい」
 夫は同居している厳格な義父の影に一瞬血の気を引かされたが、その反動で押し返された血潮はより力を増して頭の中を駆け巡った。
「いい加減にしてくれよ。いいか、きみは父親とじゃなく、おれと結婚したんだぞ」
「当たり前じゃない、そんなの。でも考えてみなさいよ、あなたの仕事も、住む家も、みんなお父さんが用意したものよ。すこしは自分の置かれた立場をわきまえたらどうなの」
「そういう態度を崩そうとしないから、おれはなあ……」
 夫は言葉に詰まり、考えるより先に手を出した。
「なによ、暴力に訴えるつもり? 情けない男ね。いいわよ、腎臓のひとつくらい、あなたにくれてやるわよ」
 腎臓を引き抜いた夫に負けじと、妻は夫の腹に隠された一物を探るように手を突き入れ、脾臓に爪を立てた。たまらず、夫は叫んだ。
「もう耐えられん。こんな家、出てってやる」
「ええ、どうぞ。あなたの好きにしなさいよ」
 お互いの腹の中をかき回し、ぶちまけ合う二人のもとへ、こちらも耐えかねた足音を響かせて、老人が腹を割って入ってきた。
「いい年をしてなんじゃ、おまえたちは」
 老人は問答無用の形相で睨みつけ、すがる娘を叱りとばした。
「いつまでもわしに甘えるんじゃない。妻として、きちんと夫と向き合わんか」
 続いて正座する義理の息子もたしなめた。
「浮気は男の甲斐性というがな、きみの場合は違う。妻から逃げているだけじゃないか」
 沈黙する二人を尻目に、かくしゃくたる老人は手際よく腹をひろげた。
「わしの目が黒いうちは、この家で夫婦喧嘩など許しはせんぞ。憶えておきなさい」
 夫は返す言葉もなくうな垂れ、妻は泣きながら頷いた。
 老人は、ゆっくりと二人に寄り添った。
「分かるな、二人とも。昔からよくいうであろう、長いものには巻かれろ、とな」
 叱責され青ざめた夫と妻を、老人がみずからの小腸でぐるぐると巻いていった。