無邪気な小悪魔ちゃん
ソファーの縁からはち切れそうな笑顔でにょきっと現れた娘が、お遊びの仲間に引き入れようと小さな手を差し出してきた。
日曜日の昼下がり。妻は高校のクラスメイトだという友人と朝から買い物に出かけ、私は幼い娘とお留守番の真っ最中であった。
「なにかなあ、これは。 パパがもらってもいいのかなあ?」
娘の手に乗せられたそれは、お絵かき帳を破って作った長方形の紙片だった。枚数は五枚あり、それぞれの紙片にはピンクのチューリップがあしらわれ、たどたどしく愛くるしい文字までが一生懸命おどっていた。
「……さ、び、しゅ、け、ん?」
どこの父親もそうだろうが、仕事に追われ日曜日にしか顔を合わせられない私でも、愛娘の拙い言葉や文字を脳内変換するくらい、お手のものである。結果、この紙片はサービス券として認識された。
「ありがとう。じゃあさっそく、一枚使わせてもらおうかな」
娘はとたとたと、冷蔵庫へ駆けていった。
私は読んでいた新聞を片づけながら、どんなサービスかと期待を膨らませる反面、妻との約束事を思い起こした。「かならずお昼寝させてあげてね、いつもしてるから」と頼まれていたが、娘は眠そうな素振りを見せない。
「どぞ、おひとしゅ」
はにかんだ娘が、ビールを運んできた。よく冷えている。これがサービスか。帰宅した妻への弁解が、あれこれ浮かぶ。うまかった。
「パパ、すごく嬉しいよ。こんなに美味しいビールを飲んだの初めてだ」
娘をぎゅっと抱きしめる。娘はきゃっきゃと笑って私にキスの雨を降らせながら、みずからサービス券を一枚回収した。
「次はどんなサービスなのかなあ? 楽しみだなあ、パパ」
日頃の疲労が溜まる背中を、娘がくすぐったく揉んできた。今度のサービスは、マッサージだった。
「とても上手で気持ちがいいなあ」
幼い手が、背中から腰、腰から肩へと凝りをほぐしてくれる。特に、肩は入念だった。
「しゅき、しゅき、しゅきよ」
耳元に口をつけ、娘がささやく。私は、とろけた。好き、好き、好きよ、か。ふざけて媚びるような口ぶりが、妻とそっくりだ。
「どうもありがとう。パパ、こんなに元気になったよ」
肩をぐるぐるとまわし、マッサージの成果を見せる。娘はにこにこしながら、時おり眼を細めた。きっと眠気のサインなのだろう。
「さてと、もうお昼寝の時間じゃないかな」
「や、ねない」
娘は首をふりふりサービス券をまた回収すると、とたとたと風呂場へ駆けていく。
「お遊びは、また今度な。ご本を読んであげるから、いつものようにお昼寝しようよ」
「いちゅも、ねる、まね」
かわいい嘘に手を焼きつつ、私は怒った表情をなんとかつくり追いかけた。
「しゃわ、しゃわ。しゃわ、しゃわ」
「シャワーを浴びたいの?」
「いっちょ、いっちょ、さびしゅ」
小さな手を精一杯伸ばし、私のズボンを脱がそうとする。これは、娘から受けて微笑んでいられるサービスであろうはずがない。
「ちょっと、よしなさい」
「これ、しゅき、くせに」
「こらっ、変な言葉を憶えるんじゃない」
「しゅき、しゅき、あなた」
妙な具合に体をくねくねさせる娘を抱きかかえ、私はリビングに戻った。お遊びは終わり。一体なんの影響だ? 娘は普段、どういったテレビ番組を見ている。子供はすぐに真似をしたくなるものだというのに。
「あんなこと、もうしたらいけないぞ」
娘はソファーの上で泣きじゃくっている。
「ズボンを脱がすのはだめ、いいね」
「あたし、きらい?」
「好きに決まってるじゃないか」
「しゅきなら、する。しゃわ、しゃわ」
私は携帯電話を取り出した。愛娘に変な影響を与えた苦情を、テレビ局にぶつけてやるのだ。それにはまず、番組名を知らなければ。
「このお遊びは、どうやって思いついたの?」
「さびしゅけん、あたし」
サービス券自体は、娘独自の発想らしい。すると問題は、サービス内容のほうだ。
「それじゃあ、ビールやマッサージやシャワーは、なにを見てしようと思ったのかな?」
身構える私に、娘は泣きながらいった。
「いちゅもの、わらってる、ママ」
脳内変換……完了。
私も、娘と一緒に泣きたくなった。