ホクロ

           ホクロ
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 妙に体がムズムズすると思ったら、ホクロのやつらが移動していた。
 ふふん、ついに愛想をつかしたな。
 俺は、ホクロなんて不要な存在だと昔から思っている。まあ、女性の目元や口元にあれば色気を増しもするだろうが、所詮はそれだけのこと。俺自身には必要などない。このまま体から出て行くなり、ひっそりと身を寄せ合うなり、どうとでも好きにすればいいさ。
 俺は一笑に付し、ムズ痒ささえ無視した。
 そうして数日が過ぎ去った、ある日。
「ちょっと、馬鹿にしないでよ」
 ふくよかな胸が特徴的な女性とのすれ違いざま、俺は腕をつかまれた。
「なんですか、急に」
 女性は眉間にしわを寄せ、肩まで震わせ怒りをあらわにしている。
「とぼけてないで、よく見なさいよ」
 手鏡を突きつけられ、鏡面に書かれた反転文字をなんとか読み取る。
「ブ、ル、ン、ブ、ル、ン、ですか」
「ですか、じゃないわよ。わざわざ額に書くなんて、一体なんの当てつけなのよ」
 なにっ? 唖然としながらも、あらためて手鏡を注視する。本当だ、文字は鏡面じゃなく、俺の額にあった。しかも、黒々とした一つひとつの点と点が仲良く並んで文字を形成している。くそっ、ホクロのやつらめ、やってくれるじゃないか。よりによって額に結集し、一致団結で文字を描くとは。
 さらにホクロのやつらは、俺に女性への弁解の余地を与えず新たな文字へと変化した。
「う、ず、も、れ、た、い」
 あたふたと訳も判らず読み上げ終えた途端、強烈な平手打ちが頬にくい込んだ。
 ははは、なんのこれしき。俺は再び一笑に付し、じんじんする頬を撫でさすった。
 だが、ふくよかな胸が特徴的な女性との一件は、ほんの手始めに過ぎなかった。
 深夜のコンビニでは駐車場にたむろする連中にからまれ、売り物のタワシで血がにじむまで額をこすられた挙句、なけなしの二万円を支払うことで開放された。
 また、帰省した実家では後先考えない母から、ゴキブリが額を這っていると大騒ぎされ殺虫剤を噴射された。
 はたまた、汗を流しに入ったサウナでは彫りかけの刺青と誤解され、汗もかいていないうちにやんわりと追い出された。
 ホクロのやつらにこうまでされちゃ、無視し続けるのは無理だった。指をさして追いかけてくる子供から逃げるのにも、バックミラー越しにタクシーの運転手から笑いを噛み殺されるのにも、もう耐えられなかった。
 そこで、俺は許しを請わねばならぬと、酒の勢いに手を貸してもらいながら、卓上型の鏡と向き合った。
「すまない、俺が悪かった」
「…………」
 はあ、三点リーダーを用いて沈黙するなんて勘弁してくれよ。俺は手のひらにビールを注ぎ、詫びの思いをこめて額にひたした。
「……、ぷ、はっ」
 よかった、酒は嫌いじゃないようだ。
「本当に、申し訳なかった」
 すかさず、深々と頭を下げる。
「い、い、よ、べ、つ、に」
 おや、意外と怒っていなかったのか。
「き、に、し、て、な、い、し」
 でも、ないようだ。俺は深皿にビールを注いで額を何度もひたし、頃合をはかってウィスキーに切り替え、ボトルを半分あけた。
「だ、い、た、い、さ、あ」
 ホクロのやつらは、ふらふらとし始めた。なんだ、愚痴でもこぼすのだろうか。
「え、ぐっ、うっ、うっ」
 と思ったら、泣き出した。
「さ、み、し、かっ、た、ん、だ」
 ……そうか、そうだったのか。俺はウィスキーをグラスに注ぎ、一息に飲み干した。やけに胸が締めつけられ、苦い味だけが舌先に残った。
「ご、め、ん、お、わ、び、に、こ、れ」
 額には、次々と数字があらわれた。
「た、か、ら、く、じ、ナ、ン、バー」
 どうやら、数字を選んで記入するタイプの宝くじを購入しろと言いたいらしい。
「分かるのか、抽選日前なのに?」
「お、や、す、い、こ、と」
 なんてこった、予知まで出来るのか。
「でも……、いいのかよ」
「へ、へ、へ」
「よし、今夜は飲み明かそうじゃないか」
 俺はホクロのやつらの新たな能力を知り、心を入れ替え、そして誓った。もう二度と、不要な存在だなんて思うまい、と。
 今夜は、とてもながい夜になりそうだ。